〔 質問者 〕美術に関しまして、いままで飛鳥、白鳳<はくほう>、天平<てんぴょう>については御教えいただいてますが、弘仁、貞観時代につきましてはまだ御教えがありませんが、今度奈良にお出ましになられますについて、奈良の博物館で弘仁と貞観時代の国宝の展覧会がございます。あの時代の美術というのは主に仏教でございますが、
【 明主様 】仏教です。
〔 質問者 〕仏像なども豊満な感じがいたしますが。
【 明主様 】割合に単純です。藤原の前だから、一時奈良朝仏はずいぶん精巧になってきたが、弘仁にきてずっと型が単純になったのです。それから藤原になってまた少し巧妙になって、それから鎌倉にいってずっと巧妙になったのです。だから弘仁は代わり目です。しかしあんまり良い物ができなかったです。
〔 質問者 〕去年の新薬師寺の本尊が貞観の代表作とかでございます。
【 明主様 】そうでしょう。藤原の代表としては、いつか行った平等院の大仏さんです。あれは藤原の彫刻としては代表的なものです。
〔 質問者 〕明治時代に平等院の模型を作った人があり、三〇〇〇万円で天理教に持って行って断られたそうです。
【 明主様 】天理教では仏教は駄目です。
〔 質問者 〕次には救世教に持って行くと言っております。
【 明主様 】持ってきても、安ければよいです。仏は買い手がないのです。私は仏は半分と、たいていそうなります。これは買い手の多い少ないで相場が決まるのです。お寺では金がいるし、売れなければしようがないというわけです。
〔 質問者 〕それは模型でございます。
【 明主様 】それならなお安いです。模型というものはまた安いものです。前に日光の模型といって、実際よくできてました。かなり大きくできてました。あの当時一〇〇万円とか言ってました。本当のとおりにできており、日光の御霊屋<おたまや>も大名行列もすっかりついているのです。だからすっかり並べると二間か三間になります。それからお宮も本当のとおりにやってありました。それでも買う気にはなれないです。一つの見世物ですから美術館には出せないです。いまの平等院のそれも、美術館には出せないです。やはり一種の見世物です。それで、そういった美術品の良い物が安い代わりに、茶の湯の茶碗などは、泥なのですが、それが何百万円といって売れるのです。
〔 質問者 〕蒔絵というのは漆<うるし>の上でなくてもできるものでしょうか。
【 明主様 】蒔絵は漆よりしようがないです。
〔 質問者 〕尾形光琳<おがたこうりん>が追放されたときのことで、竹の皮に蒔絵を画いて、云々ということがございますが。
【 明主様 】それは無論漆です。竹の皮に漆をしてやったのです。
〔 質問者 〕そんな贅沢をしていたものでございましょうか。
【 明主様 】これは伝説になってますが、あの当時舟でお花見に行く人が贅沢を競っていたのです。それで光琳は「癪<しゃく>に障る、よし一つ人ができないことをしてやろう」というので、蒔絵がやれるため、竹の皮に蒔絵をして、それにおすしかなにかを包んで、そうして舟がたくさん出ている所で食べて、皮を捨てたのです。それでびっくりしたのです。これは賀茂川の花見の最中のことです。それが当時の町奉行に知れて、金を使ってなければよいが、金を使ってあるので、金を使っているのはけしからんと言われ、京都をおかまいになって江戸に追放されたのです。四年間深川の大工の所に食客<しょっきゃく>になっていたのです。そのときに作ったのもあります。ですから江戸に元からある物はそのときに作ったのです。それでそうとうな有力者が嘆願して許されて、また京都に帰ったのです。東京に光琳がいるときに、それを慕って乾山<けんざん>が来たのです。それで乾山は下谷<したや>の根岸に住んで、窯を作りやったので、乾山には江戸で作ったのと京都で作ったのがあります。乾山もあれだけの名人だから大騒ぎをされて、京都に帰りたくなくなったので、だんだんやって、いまは何代目かで、乾也<けんや>という人です。それでイギリスのバーナード・リーチが乾也の弟子になって、要するに乾山風の陶器を習って、向こうで焼いて、日本でもそうとう焼いてます。なかなか上手です。それでリーチが、私の所に乾山があるというので、ぜび見たいと申し込んできてます。バーナード・リーチと、柳宗悦<やなぎむねよし>と、もう一人の、三人がぜび見たいというので、美術館を開いたら五月あたりに来てよいということに返事をしてあります。そのバーナード・リーチは乾山崇拝なのです。そのために日本で習ったのです。あれはイギリスの陶芸家です。そういうようで、光琳が追放されたということにより、乾山という名人が江戸に来ることになったということも、やっぱり一つの功績です。乾山の陶器というのはだいたい江戸趣味です。仁清<にんせい>のほうは京都趣味です。ですから乾山のほうが渋いです。江戸芸術の香りが非常にあるわけです。前に乾也というのがカンザシを作って、明治一四年に乾也の玉と言ってはやったものです。
それから、今度の桃山展で光悦の硯筥<すずりばこ>が出てます。樵<きこり>の図です。これは、桃山の一番の芸術家は光悦ですが、光悦の一番の傑作が樵の蒔絵の硯筥です。光悦の硯筥には二つあるのですが、樵と、博物館にある舟橋です。この二つのうちで、私のほうが少し古くなって、破損ではないが剥<は>げた所があるのです。舟橋のほうがきれいではあるが、樵のほうが本当に傑作なのです。それが手に入ったのです。それでちょうど桃山展に第一番の物として、そのつもりでいたのです。それはすばらしい物です。これを一つ見るだけに、それこそ大阪や京都から出てきてもよいです。知っている人は、そういう人もあります。
(御講話おわり)