昭和二十九年四月一日御講話(10)

〔 質問者 〕信者の柔道の道場で、ふつう鹿島、香取の軸でございますが、光明如来様の御神体を奉斎いたしましてよろしいでしょうか。

【 明主様 】よいです。柔道といっても、昔は武術に使ったが、あれは大いに体を錬<ね>るためにやるのだから、平和的の意味です。おまけに柔道は、私もやったことがあるが、人を殺めるというのではなくて、防御です。暴力に対する一つの防御だから、当然のことです。ところが、柔道は身を守る護身術ということになってますが、それを喧嘩の道具にするというのですから間違ってます。喧嘩の道具も、先からやってくれば、自分を擁護しなければならないから、それはしかたがないので、大いに擁護してよいですが、それが反対になって、あいつはシャクに障<さわ>るからやっつけてやれということになると、それは防御の範囲を越えるからいけないのです。そういうことは、柔道の先生はよく言いますが、それを若い連中はなかなか守れないです。

「『御垂示録』三十号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p78~79」 昭和29年04月01日