〔 質問者 〕母親の執着で、子供が片端に生まれるという場合に、母親が亡くなった子を思うということは、神様からご覧になって、かなりお許しをいただけると思いますが、そういう愛のために現世で親子ともに苦労するというのは、執着ばかりのためでございましょうか。
【 明主様 】執着ばかりのためではないのです。なんとなれば、そこの家に罪穢れが少ないということは、良いことをしているからです。それは他の信仰でも、良いことをしたり、人を助けたりしていると、そのほうの助けが来ますから、そのために執着が消えてしまいます。それは、そういった、時によっていい恵みがあります。それで執着がどこまでもつきまとうということは、そこに曇りがあるからです。だから相応の理です。ずいぶん際どいところで助かったりすることも、昔、親なり爺さんが人を助けたりしたことが、その子孫に、やっぱり良いことに現われるものです。それが世の中の一つの法則になっているのです。だから良いこともしっばなし、悪いこともしっばなしということはないのです。必ずなにかによって酬われるのです。それが因果律です。
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「『御垂示録』二十九号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p66~67」 昭和29年03月01日