自然栽培の報告がだいたい集まったので、「特集号」を出します。言いたいことはだいたいみんなここに書いたつもりですから、これをよく読めば、どんな人でも分かるわけですから、大いに撒<ま>いてもらいたいと思います。一〇〇万部作ることにしましたが、いまから大いにバラ撒いておけば、今年の栽培を始めるのに間に合いますから、時期がちょうど良いと思います。
(御論文「日本農法の大革命 無肥料で初年度から一割乃至五割増産」「自然農法の原理」「本農法の技術面その他」およびお蔭話朗読)〔「著述篇」補巻三、六八六ー六九四頁〕
この間、有肥と無肥の玄米を蔵<しま>っておいて一年たってから見て驚いたというお蔭話がありましたが、今度その米を拡大して写してみましたが、これで実にはっきり分かります。
いまいろいろ読んだとおりで、たいていなことは分かっているでしょうが、ただ初めてと思うのは、土や植物にも意思、感情があるということです。これが割合に重要な点なのです。だから土を愛し、尊んで、そうしてできるだけ穢さないようにするということが根本なのです。その点動物と同じなのですから、そうしてみると、例えば、人間の頭から糞をかけられたり、劇薬をかけられたら悔しいのも悔しいし、シャクにも障<さわ>ります。いまでは日本の土はみんな怒っているのです。ロクにできないということは、土がストライキをやっているのです。それから稲もそうです。せっかく土のうまい所を吸おうとすると、変な物をやられるので腹が立つし、変な物を食わせられるから栄養がなくなって痩せてゆくのです。有肥料の稲はみんな痩せているというのは、そういうわけです。これを人間に準<なぞら>えればよく分かるのです。だんだん弱ってゆくから、そこで水害や害虫にあっても、それに負けてしまって、去年のようになったわけです。そういうように、いままでの人間というのはまったく、一番簡単に言えば馬鹿野郎です。私の冠句に「馬鹿野郎、よく考えりゃオレのこと」とありますが、まったくこれは日本人全体のことです。そういうわけだからして、まずそれが基<もと>です。そういうふうな考え方で見るのが根本です。そういうふうに思えば、肥料などは恐ろしくてかけることができなくなりますから、それをよく教え込むとよいです。
今度来た報告を新聞に五〇例ぐらい出しましたが、以前と違って一人も減産がないのです。少ないのでまず一割、多いので五割です。これは霊界が違ってきたせいもあるのですが、実に自然栽培が普及されるような時期にもなってきたわけです。この次は病気ですが、このほうは後まわしだとみえて、だいぶゆっくりしてます。でも、信者のほうにはかなり激しくなってきたようです。ボヤボヤしているとなかなか危ないような点が見えます。そういうようなわけで、もう一段分かると、それは燎原<りょうげん>の火のように拡がってゆくと思います。仮に一〇〇万を、一軒の農家に一部ずつとしても、新聞とかああいうものはたいてい平均して五人は読むとしてあります。そこで仮に五人読むとすると、五〇〇万人読むことになります。そうすると農民の数が二〇〇〇万として四分の一が読むことになります。しかしこれは五人ではきかない思います。いま、これをもっとも知りたいというときだし、またこの話を聞いたとすれば農民は見ずにはいられないですから、一〇人くらいは大丈夫だと思います。これは言うまでもなく数多く配布させたいと思います。その土地土地の指導者はそのつもりでウンとやれば、チャンと神様が手伝いますから、大丈夫うまくゆくと思います。そうしてこれだけで、「救世教というものはふつうの宗教ではない。これはだいたい偉いとか偉くないということは別として、ありがたい宗教だ、これでわれわれは助かった」という、その恩を感じるということが大きなものです。
(次節に続く)