その力を一番分かるのは、非常にスピードが早いです。それについて、正月の三日間は主に地上天国について話をしたのですが、今日来た人は、お正月の三日間に来られなかったわけですから、だいたい同じような話をします。同じような話でも、もっと詳しく、よい話になるかもしれません。だいたい熱海の地上天国は、知っているとおり、この秋にメシヤ会館と水晶殿<すいしょうでん>ができます。それから美術館は来年になります。それで、美術館もすっかり設計はできてます……と言っても頭の中だけではありますが……。これはすばらしいもので、とうてい箱根の美術館とは比べものにもならない勝<すぐ>れたものです。箱根の美術館は、いままでのありきたりのようなやり方を、割合にまわりの風景にマッチした、調子がよいというぐらいのものですが、今度の熱海の美術館は断然新しい、ちょっと想像もつかないようなものができるはずです。箱根の美術館でさえ、アメリカの『シカゴ・トリビューン』の記者のシモンズという人は……婦人記者で、美術のほうではそうとう名のある評論家ですが……去年の秋に見たときに、いままで世界中の美術館を見たけれども、一番良いと思ったのは、イタリアのヴァチカン、フランスのルーヴル、それからこの箱根美術館だと言うのです。この三つが共通した点がある、その受ける感じが同じようだと言うのです。ただ箱根美術館のほうが一つ勝れた点がある。それは、美術館で美術品を見ながら、目を窓の外に向けると、自然の山、海、天然の風景があることと、庭は岩石、植物というものを芸術的に組み合わせて効果を現わしているということは、これは他にないということです。庭はそうではないが、箱根の美術館はちょっと試験的にやったものですが、それですらそれだけに認められるのですから、今度熱海の美術館ができ、熱海の地上天国が完成すると、とにかくすばらしい話題に上るだろうと思います。それは日本ばかりではないのです。アメリカは勿論ですが、いずれはヨーロッパのほうにも大いに評判になるわけです。その次に来たのは、婦人で、『ニッポン・タイムズ』の記者をしているエリス・グリリという人です。主人はNHKの英語放送の主任ですが、この人は、これから大いにアメリカに紹介するということを言ってます。それから、『シカゴ・トリビューン』のほうには出たそうですが、送ったのが暇がとれるとみえてまだ着きません。そういうようなわけで、とにかく世界的に認められ、むしろ熱海の地上天国を見たいとして、そうとうの外客がそれを当<あて>に来るだろうと思ってます。そういうようなわけですから、日本内地は、無論たいへんな評判になると思ってます。去年の日光見物に行った客の統計を見ますと、二四〇万人というのですから、少なくともその半分は大丈夫だと思ってます。そうすると一二〇万人来るとすると、ずいぶんたいへんだろうと思ってます。そうしてそれを見て、信者以外の人はいまさらのようにびっくりするだろうと思ってます。いま見たところで、まだ半分できてないのですが、いまでさえみんなそうとうびっくりしているのですから……。グリリという夫婦の記者は、見た感想を書くつもりだったが、あんまり思ったより雄大過ぎるので書けない。だから書くのをやめて、ただ現場を見ろということだけ書くつもりだということを言ってました。そのときに放送局の古垣会長は来たかと言うから、来ない、おそらく知らないだろうと言うと、それはけしからん、だいたいこれだけのものが日本にできているのに来ないということはない。おまけに古垣という人は熱海にいるのです。大いに言ってやらなければならない、と。それで言ったとみえて、昨日その報告がありました。近々にその外人が古垣を連れてくる、だから会って話をしてもらいたいということでしたから、きっと来るでしょう。しかし、見て「なるほど」と思っても、放送局で特に救世教を紹介するということは、なかなかできないのです。なにかしかるべき方法を考えるだろうと思ってます。それが日本の社会状態がアメリカあたりとはぜんぜん変わってます。アメリカは、良いと思えばどんなことをしても早く社会に知らせようとして発表するのです。それが日本では、特に宗教というのは、宗教宣伝ということは特に悪いような一種の不文律のようなものがあります。だから言論機関とか放送局というのは、そういうことを嫌うというよりか、いけないとしてあるので、妙な話です。宗教でも、良ければよいのです。国のため社会のためになれば結構なのですが、どうもそれがいけないらしいのです。だからいままでいくどか放送がありましたが、必ず救世教だけの放送はないので、必ず他の宗教をお付き合いに出すのです。そうすると新宗教を批判するとかいう意味になるからよいのです。この間の放送なども、お付き合いに出された新宗教はお気の毒だと思ったのです。一番しまいの佼成会は話をしかけでおしまいになって切ってましたが……。ですからアメリカのそういう話を聞いてみると、実によいです。まったくアメリカが隆盛になるということがよく分かります。それからまた、いろいろ宗教的の意見を聞いたので話してやりましたが、日本人からこういう話を聞いたのは初めてだ、自分は四年ほどずっと日本にいるが、他の日本人は私の言うことと違うと言って非常に褒めてました。それで私は、アメリカの人は大きなものを大きな目で見るから分かるのだ、日本の新聞記者は大きなものを小さな目で見るから見えないのだと言ったのです。アメリカの記者はそういうふうに私の考えていることとよく合う。ところが日本の新聞記者などはこれを見ると「救世教のやつなかなか金儲けがうまい」とか「どうしてこれだけのものを造るだけの金を儲けるのか」と、それだけぐらいなものと思うと言ったところが、大笑いをしたのです。とにかく日本人の、そういったジャーナリストなどは、どんな良いことがあっても、それよりか、なにか欠点を見ようとしているのです。それが一つの習慣みたいになっているのです。それはそれとして、熱海の地上天国ができると、世の中は驚くとともに、「ではいったいこれはなにものだ」「これは救世教の教祖だ」「ではいったいその教祖という人間はどういう人間だ」ということになりますから、「岡田茂吉という人間だ」「それでは一つ研究してみよう」というので、「岡田研究熱」というものがきっと起こると思います。なにしろ最初のうちは、「とにかく岡田という奴は怪物だ」というぐらいのところですが、その後は「あいつは曲者<くせもの>だ」ということになるから、「怪物」から「曲者」になります。それからだんだん出世してきて「奴もやはり一個の人物だ」ということになります。それで「奴を研究するには著述が一番だ、書いた物を読むのが一番だ」という、そのために私の書いた物が非常に売れると思います。そうなると結構なのです。いろいろ読めば結局、もっと肝腎な医学……しかしそれまでには農業のほうが実際的に拡がりますからたいしたことはないが……と、いろいろな新しい説なども頭に入りますから、そこで非常なよい結果になると思ってます。それもこれもみんな神様がチャンとそういった計画をされているのだから、そつ<ヽヽ>はないのです。けれども地上天国、美術館などがそんなすばらしい役目をするということなども、ちょっと考えられなかったわけです。そういった美術によって教えを弘めたということは聖徳太子が大いにやったわけですが、それで地上天国について考えてみると、なるほど日本でいままで、秀吉が大阪城を造るとか、家康が二重橋とか……もっともこれは太<ママ>田道灌が大いに拡張したものに違いないですが……日光にしても三代将軍が当時の美術家を動員してあれだけのものを造ったには違いないが、その目的たるや、つまり徳川の権勢を維持することと、それによって大いに国民を威圧的に勢力を植えつけるということと、また一説にはまだあの時分には秀吉の残党がそうとう潜<ひそ>んでいたから、それに対して当時の大名が気勢があるので、それには金を捲き上げ、懐を減らすのが一番よいというので、ああいう金のかかるものを造って、金を吸い上げるのが一つの目的だという説がありますが、どこまで信をおけるか分からないが、それもいくらかあったでしょう……。それであれだけのものを造ったので、そうしてみると芸術的のものはないので、ただ立派だというだけで、外国人はたいして感心してないです。そういうようで、日本のそういった大きな建築物にしても、自己の権勢を誇ることと、戦争のほうの防備という意味が多分に含まれていて、本当に大衆のためにということは、ほとんどなかったです。それから世界的にみると、ヴァチカンにしても、宗教的に自然にああなってしまったのです。そして美術としても絵画、彫刻が主な物で、他の物はあんまりないです。絵画はすばらしいもので、私は写真で見ましたが、それは驚くべきものです。ルーヴルはだいたい絵画です。なお彫刻、陶器とかいうような物であっても、フランスだけの美術です。他には美術館だけで言えば英、米ですが、これも東洋美術は支那陶器と銅器だけで、後はたいした物はないようです。そういうようなわけで、本当に大衆に楽しみを与え、それによって人間の思想を良いほうに導き、向上させるというような目的で造られたものはまだ世界にないのです。今度私が造る地上天国が初めてでしょう。これからはこのまねをしてやる者もできるでしょうが……。そういうようで、公平に見てすばらしいものだと思います。ではできたらどうかというと、さっきも言ったとおり、なんと言うか、実際を見なければちょっと分からないようなものなのです。それでこの間も言ったとおり……アメリカの新聞記者が言ったことでもあるが……日本を西と東に分けると、西は京都、奈良、東は箱根、熱海が、日本における文化財の見るべきものだということです。これは私が思っていることと同じで、結局そういうことになるに違いないと思ってます。京都、奈良は、奈良は一〇〇〇年以上で、京都はだいたい平安朝が一番で、それから桃山にかけてですから、四、五百年から七、八百年という年数がたってます。そうして大勢の人がたいへんな金をかけたに違いないです。ところが私がここを始めたのは終戦後ですから、二一年からで再来年でちょうど一〇年です。一〇年間でそれと匹敵するものを造ったのですから、その早さにおいては、実に私も驚いてます。しかし神様がやっているので、私はただあんがい楽々とやってますが、いつかしらこんなものができてしまったわけで驚いてます。また、この間の生誕祭をハワイのホノルルの本部でやったのです。本部はまだすっかりはできてないが、人が入れるぐらいにできて……今月いっぱいでできるそうですが……参拝者が一一〇〇人あったのです。昨日の報告を見ると千二百いくらかになってますが、それが去年の三月に始めたので、それまでは足掛かりもなにもなかったのです。そのくらい早いです。早いということは、神様の力があるということです。まだいろいろ詰もありますが、とにかくそれでだいたい分かったでしょう。
一言いうべきことは、この地上天国が世界的に、いま言ったように、一つの話題になるとすれば、日本における救世教という宗教と、岡田という人物というものは知れるだけは知れますから、それから神様は、勿論最初はアメリカですが、アメリカをドンドン開いてゆきます。そうすると無論ヨーロッパにも開けますし、これはまだ発表しませんが、東洋におけるつまり中国における一つの根拠ができて救世教が発展するという……最初からそうもゆきませんが、ともかく一つの種をまくということが、最近始まっているのですが、これはもう少したったらもっと具体的に話せるようになるでしょう。そういうように、こっちの目的である「世界人類を救済する」「地上天国を造る」ということも、ぜんぜん夢ではない、あんがい早くそういう形になるということが分かるのです。それがもう一、二年たつとだいぶはっきりとなることは大丈夫です。