昭和二十九年一月六日御講話(3)

 三日間はほとんど美術館の話をしたのですが、今度の五、六、七に来られた人は、三日間に来られない人が来られたので、やはり美術館の話も急所だけを話してみようと思います。一度は見られたでしょうが、熱海の地上天国もドンドン進みつつあります。これができると、それはいま見たのではまだ想像もつかないほど立派なものになります。会館も、私は見ませんが、昨日見てきた人の話では大理石の柱が立ったそうですが、その色やなにか、非常によいと言ってましたが、それでできあがったら外郭といい、中身といい、これだけでもいままで見たことがないような物ができます。大きさも日本では一番大きいのです。他は、大きく見えますが、二階、三階があるから、人間もたくさん入るし大きくも見えます。しかし一階としてはすべての点において一番大きいです。それから設備も一番進歩しているそうです。例えば音楽のときのオーケストラ・ボックスという……舞台の前の下にあって、これは昔からあるものですが……それを私はふだんは見せないように、なんとかの装置で隠れるようになるのだそうですが、これはまだどこにもできていないそうです。その他、中の工夫とか、意匠というものもよほどすばらしいと思ってます。それから展望台の水晶殿<すいしょうでん>も、これはアッとするようなものです。それで水晶殿と会館は秋までにできあがります。それから美術館は箱根の美術館とはまるっきり違ったものです。この美術館の様式は、勿論新しいのは新しいですが、実になんとも言えない、一つの美的感覚を受けるわけです。これができたら世界の話題に上るだろうと思ってます。それでいま敷地や、あの付近を造ってますが、これは見れば分かります。大きな道路だとか、展望台のほうに行く狭い道とか、実にうまくゆくのです。これは神様がそういうような地形を支度してあったのです。ですからこれがすっかりできあがると、世界にないものになります。似た物もないくらいなものです。これがたいへんなことになり、日本は無論ですが、世界の評判になるだろうと思ってます。そこで「いったい救世教というものはなんだ」「新宗教であんなおおげさな物をこしらえて、いったいだれがやったのだ」「ナニ、岡田茂吉という元小間物屋の親父だったそうだが、それがあんな物を造って、怪物だ」と、最初は怪物だぐらいでしょう。それからだんだんと「只者ではない」ということになって、そこに自然栽培なども同時に知れますから、そこで「怪物」から「曲者<くせもの>」になります。そして結局「とにかくたしかに偉い、だから一つ研究してみる必要がある」というわけで、「岡田茂吉研究」という熱が出るだろうと思ってます。「それにはなによりも彼の書いた本を見る必要がある」というので、そうなると私の書いた本が非常に売れるだろうと思います。そうして、それを見れば、医学とか薬のこととか、その他の教えもありますが、だいたい分かることになります。いま教団に命じて、『信仰雑話』は古くなったので、新しい救世教の聖書というようなものを作ろうと思って、いままで私が書いたものの中から、これがよいというようなものを集めて、そういったものを集録して聖書的のものを作ろうと思ってます。そういうものなども大いに読ませるようにすると、一度に分かるわけですから、それから本当に発展するという段取りになるわけです。それで、医学革命にしても、いままでのように一人ひとり病気を治してやったぐらいでは、とてもまだるっこくて、いつまでかかるか分からないです。ところがいまのような具合でゆくと、あんがい早く分かります。神様はなかなかそつ<ヽヽ>がないです。今度は地上天国、美術館というものによって多くの注目を浴びて、そうしてみんなを教えるという、一つのやり方ということになります。

「『御教え集』三十号、19540215、19540106、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p132~133」