それから病気について、浄霊でどうして治るかということを、新しい人から……よく患者などで、ばかによく治るがどういうわけで治るのだろうかということを聞かれた場合に、はっきりとその説明をすることは、私はいままであんまり書かなかったように思うのです。一度書こうと思ってましたが、最近しきりにそういう気がするので書いてみました。というのは、以前はなかなか医学がやかましく、政府が言論の自由をなくしていたから、下手にやって酷い目に遭うといけないからと思って、はっきり書かないようにしていた。それがずっと続いてきたので、あまり徹底しなかったのですが、今度、いま言ったようなわけで書きましたから、それを読ませます。この説明でもなかなか分かりにくいのですが、しかしよく話して、そうして考えれば分かります。
(御論文「浄霊は科学療法なり」朗読)〔「著述篇」第一二巻七―一一貫〕
次はその説明ですが、まだすっかりはできてないが、できているだけをだいたい書きました。とにかくこの説明は非常に難しいのです。いまのはどうやら分からないはずはないだろうと思いますが、これから先は非常に難しいのです。科学でもなければ宗教でもないし、いままでになかったものだからして、私が考えていることを文章にするのに、うまい文字がないのです。それは、いままでにこういうことがなかったから文字ができていないのです。だからある所まで説いてゆくと、それから先は文字がなくなってしまうのです。よほど工夫して書いてみたのですが、まだうまくは書けていませんが、できただけを読ませます。
(御論文「浄霊は科学療法なり」朗読)〔「著述篇」第一二巻一二―一五頁〕
いま読んだ中で肝腎なことは霊<れい>と体<たい>です。体にある毒素が霊に写って曇りとなるということは、つまり緯<よこ>の作用であり、それから霊の曇りを取ると、それが体に写って、体の毒素が出るということが経<たて>の作用です。だからこの点をよく知っているとよく分かります。それで緯に写る作用は、つまり体的であるからして、それでは解決はできないのです。それから経は霊主体従<れいしゅたいじゅう>で、霊さえ良くすれば体はきれいになるのだからして、病気は解決されます。経の作用は霊的作用であり、それから緯のほうは体的作用だから悪の作用であり、経のほうは善の作用ということになります。いまの世の中は地獄の世の中ということは、緯の文明のために悪が発生するのです。そしていままで経がなかったのです。無神論というのは緯で、有神論というのは経です。だから、つまり緯だけでは体的だから魂がないのです。経は魂があるのです。それで経というのは天から地軸まで抜けるのですから、これはたいへんな力です。緯だけではそういった経の骨がないようなものですから、そこで本当の文明はできないわけです。しかし緯がなければ物質文化は発達しない。要するに経だけでは人類は世界に拡がらないです。そこで経と緯と両方が必要なわけです。だからごく昔は経の文化だったのです。文化というよりも、経の働きだったのです。それから神様は、物質文化を発達させるために緯の働きをされたわけです。だからどっちも本当ではないから、経と線を十文字に結ばなければならないので、それが本当の文明になるのです。この経と緯を結ばせるのが私の仕事であるし、救世教の仕事というわけです。だからいろいろな仕事をやるわけです。農業をやるかと思うと、美術館を造るというのですから、およそ反対ぐらいに違います。そういうようなわけで、なかなかたいへんな仕事なのです。非常に難しいようでいて、また非常にやさしいのです。このことを知るにはどうしても既成観念があると、邪魔して分かりにくいのですが、それを捨ててなんにも囚<とら>われないで考えてみれば、なんでもなく分かります。話は学校の講義みたいになってしまいました。