昭和二十九年一月二日御講話(7)

 もう一つ変わった話をしますが、原子爆弾というものはつまり火力です。太陽熱です。太陽熱をとったものだ、吸収したものだということを学者は言ってますが、実際そうです。太陽熱を一遍に集めるのです。だから火力というものは、ちょっと計れないです。二万度とか三万度とか言ってますが、そんなものではないので、もっと熱いです。水素爆弾などというと、ぜんぜん計れないです。計れないと言っても、ぜんぜん計れないというわけではないので、寒暖計のほうが進歩すれば計れます。ところで、浄霊の火素<かそ>が原子爆弾と同じことです。原子爆弾と浄霊が時期も同じにできたわけです。原子爆弾の原理というものは約十数年前にできたのです。そういうわけで、時期が同じです。それで、ただ浄霊のほうは霊的の熱です。そこでそんなに熱くもないし光も見えないのです。では力はどうだというと、これは原子爆弾よりずっと強いのです。私はいま書いてますが、未信者が浄霊で治ったときに、どういうわけで治ったのかという説明を求められた場合に、はっきりと説明する必要がありますから、そこではっきり書きましたが、これならだいたい分かるわけです。それで、病原は人間の霊の曇りです。曇りというのは水素中にある不純粒子で、つまり毒粒子で、これは計算のできない細かいものです。それが火素の放射によって毒粒子が焼けるのです。ですから、毒粒子を焼く光線ですから、その強さというのはたいへんなものです。これ(浄霊)が物質だとしたら、やはり物質を焼いてしまいますが、これは物質ではないから霊を焼くのです。それで霊のうちの毒粒子というのは霊の物質なのです。それでこの光によって霊の物質を焼いてしまって純水素が残るのです。それが漿液に混ってしまい、そうして毒粒子だけが焼けてしまうのです。ですからその焼けるということは、ちょうど原子爆弾と似ているということは、火力が強いことで、その点が似ているわけです。それがちょうど二〇世紀の同じころに現われたということがおもしろいです。私はそれを、原爆は殺人光線、浄霊は活人光線というふうに名前をつけたのです。
(御講話おわり)

「『御教え集』三十号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p114~115」 昭和29年01月02日