昭和二十九年一月一日御講話(4)

それからもう一つおもしろい話があります。原子爆弾と浄霊とは同じことなのです。霊<れい>と体<たい>だけの違いで、非常に似ているところがあるのです。それはどういうわけかというと、原子爆弾というのは熱です。今朝の新聞の見出しだけで見ましたが、太陽熱の移動だというのですが、熱度が非常に高いからです。ところで、あの原子爆弾から発する熱というのは、二万度か三万度か、何万度ということになってます。あるいは、水素爆弾などの度数はもっと高いでしょう。そうすると、その火力の前にはなにものも焼けてしまうので、地上は無になってしまうのです。それで浄霊のこれ(掌)から出る光線と同じというか、むしろ本当の意味から言うと、浄霊のほうがもっと火力が強いのです。ただ、原子爆弾は体の火力で、このほうは霊の火力です。霊だからして、人間の五感に触れるような熱ではないのです。まるで無に等しい熱ですが、しかし力においては原子爆弾以上です。それでここからの霊の熱というものはどういう働きをするかというと、病気の因は、私が説いてあるとおり霊の曇りです。霊の曇りというと不純水素ですが、不純水素というのは、不純水素中に毒粒子という非常に細かい粒子があり、それを浄霊の火素が焼くのです。ですからそれが体に写って肉体のほうの毒素が溶けて出るというわけで、これは一つの科学的説明で、つまり理論科学です。ですから、人間の霊の曇りのうちのその毒分は焼いてしまうだけの霊の火力が出るのだから、ちょうど霊の原子爆弾と言ってもよいわけです。そこで、体的原子爆弾ができると同時に霊的原子爆弾ができたということになりますから、非常におもしろいです。それで体的の原子爆弾によって……ちょうどアイゼンハウアーが世界的に宣言しましたが……戦争はもうできない。だから原子爆弾をこしらえても、お互いに止そうではないか。平和のほうに使うようにしようではないかということを唱え出してます。要するに物質的に戦争をなくす一つの力ができたのです。それで浄霊のほうは、これによって霊を浄めるために、人間のほうが戦争をしようという気持ちにならないわけです。ただ、戦争の気持ちのなくなるということは、戦争をしようという、争いを好む霊の力が弱いわけです。ということは、それが人間に憑って、人間にそういった間違ったことをさせようというその働きが弱ってしまって、そこで人間のほうは戦争意欲がなくなって、それからまた体的には戦争ができないようになり、これをやれば人類が破滅になるということを分からせるという、霊と体の両方を、神様が同じときに出現させたということは、そこに非常に関連した意味があります。これが、世界がいよいよ地上天国……ミロクの世になる……できあがるという間際に来たわけです。ですからして、原子爆弾を作ったのはアメリカですが、アメリカは体的による地上天国の根本を作り、それから私のほうは霊的地上天国を造るという、その霊的力が日本に生まれたのですから、日本と米国の両国は霊と体で、その力が同時にできて、いよいよ地上天国ができることになるわけです。前から私が言う「アメリカは緯<よこ>の線であり日本は経<たて>だ。それで経緯を十文字に結んで、それからが本当の文明が生まれる」ということが、つまり具体的に現われるわけです。ただ、それを一日も早く人類に分からせる……少なくとも日、米の人間が根本ですから、これに一日も早く分かるようにするというために、その最初として、さっきから話したとおり、地上天国ができるということによって、一番先にみんなの目をそこに向けさせるのです。とにかく日本を先に向けさせ、次はアメリカ人と……それによっていろいろな救世教の真髄が分かるという段取りになってきて、要するに地上天国出現に、一段、段を上ったということになるわけです。

(御講話おわり)

「『御教え集』三十号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p103~105 」 昭和29年01月01日