昭和二十九年一月一日御講話(2)

それから熱海の地上天国は秋までにはどうしても開館の運びになるようにできます。つまり会館と水晶殿ですが、美術館のほうは来年になります。これができると世界的の話題になるだろうと思います。世界中の注目を引かれるわけです。と言ってもまだ中途ですけれども、すっかりできあがったらたいへんなものです。いまやっている土地なども面積が拡がりつつあります。これを考えてみると、日本だけとしても、これだけの大規模にこういうものをやったことがないのです。大きな建物ということについてほ、大阪城とか、丸の内の二重橋というものを作ったが、あれは本当に人類とか社会、大衆のために作ったのでなくて、自己の権勢を誇示するために大いに威容<いよう>を示すことと、それから戦のときの防備という、そういったような考えが根本ですから、その点において私がやっているこの地上天国とは逆ぐらいに違うのです。それから日光も結構ですが、あれもやはり、三代将軍が徳川の天下を続けるために大いに威容を示すということと、一説には、あの時代の各大名は懐が温かいので、まだ秀吉の残党が残っているから危険だ、それには懐を貧弱にしなければならないというので、そういう策略があったということを言ってますが、そういう策略もいくらかあったでしょうが、あれを作った目的は、大衆的の考えはほとんどなかったのです。そういうようで、日本における大建築といった物はないのです。そこで箱根、熱海の地上天国は、日本始まって以来ないものができるわけです。それで日本のみならず、外国を見ても、なるほど支那の北京の紫禁城などというのはたいした物です。しかしそれもそのときの王様が、やはり自己の権勢を大いに見せびらかすためと、それから自分の贅沢といった意味であって、大衆のためにどうという考えではなかったわけです。それからヨーロッパのヴァチカン宮殿にしても、やっぱりキリスト教の一つの本山として、ちょうど日本で言うと奈良の宗教的のものと同様に、金は大いに集まり、品物の良い物はたくさん献納するというわけで、自然にああいう美術館ができたのです。それからまたヨーロッパの中世紀は非常に宗教美術がたくさんできたので、どうしてもヴァチカンに美術館ができなければならないようなことになったのです。そういうようなわけですから、本当に地上天国的の、大衆のために造るという考えはぜんぜんなかったわけです。ですからそういう点において、こっちでやるものは世界始まって以来ないわけです。それともう一つは、この間のアメリカの新聞記者も言ってましたが、つまり美術館として品物は良い物がいろいろあるが、その位置が、箱根、熱海のような天然の美を採り入れたという所は別にない。その点においては世界にない、ということを非常に褒めてましたが、どの点から言っても世界の話題に上って、世界中で、日本における一つの大きな出来事として見るようなことになってくると思います。その結果、「いったい救世教とはなんだ」ということになり、「岡田茂吉という人物がやっている」「それはいったいどういう人物だ」ということになって……これはふつう言うと少し慢心みたいですが、別に私がやっているのでなくて、神様がやっているのですから、むしろ私は批判する立場に立っていると言ってもよいのです。「わずか一〇年か二〇年たつかたたないうちにこういうものを造った」というわけで、岡田研究ということが始まるだろうと思います。「どういう人物か、どういう思想を待った人物か」というわけで、私の書いたものを世界的に読むことになります。その結果、どうしてもいままでの医学迷信、肥料迷信ということを分からざるを得ないことになります。また、そういう地上天国というドエライものをこしらえるだけあって、彼の思想や彼の言うことはすばらしいものだ、第一これによって健康を快復する。病気がなくなる。肥料なしで豊作になる。それから無神思想をなくすれば犯罪者がなくなるという、いろいろなことを知るわけです。妙なもので、変な目を持って見ると、いくら良いことを書いてあってもさっぱり頭に入らないのです。ところが、「これはふつうの人間とは違う。たしかに只者ではない。これはどういうことを言うのか」というそういった目で見ると一々感心することになるのです。どうしてもそこにゆかなければ駄目です。そういったようなやり方は、絶対の神様がやっているのですから、驚くほどうまくやられるということは分かってますが、とにかく、美術をもって最初大衆の注目を引くということは、神様はなかなか上手をやると私は思ってます。いくら高等な理屈を説こうと、すばらしい御利益を与えようと、それは暇がかかります。なかなか簡単に受け入れることはできないものです。ところが見るものですと……それも見たいような物を見せるので、無理に押しつけるのではないのですから……実に簡単に効果が上がるのです。それでいよいよ熱海の地上天国ができると、日本人がほとんど全部見に来るでしょう。それは一時には来ないが、とにかくだんだん知れるに従って、どうしても見ずにはいられないということになるでしょう。いまはできかかりですが、できあがったら、それは信者の人もびっくりします。つまり、その雄大なる構想と、まだまだ予想もつかないようないろんな所ができますから、まず天下の耳をそばだてさせるということになります。それは箱根とはテンデ比べものにならないくらいになります。それがすっかりできるのは……美術館ができるのは来年の秋までと思ってます。来年いっぱいならだいたいできると思ってます。そうして去年一年間に日光に行ったお客が、二四〇万人と、この間新聞に出てましたが、ですからその半分とみても、一〇〇万人は来ると思います。それで一カ年一〇〇万人とすれば、入場料がたいへんなもので、何千万円というものになります。

「『御教え集』三十号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p100~102」 昭和29年01月01日