垂録27 昭和二十八年十二月一日(18)

〔 質問者 〕 生命の力の限界ですが、それから個人の持つ力、例えば自然農法が初年度は非常に力を上げてその比率の割合は、何年かやったほうが割合にのびてないという見方がありますが、これは肥毒に押さえられていたのが、強い力で上昇したようですが、そういう植物の力にも限界というものがあるものでございましょうか。

【 明主様 】 それはあります。

 

〔 質問者 〕 例えば二石収穫している者が四石にするのは楽ですが、四石のを八石にするのは……というようなことがありますので。

【 明主様 】 そういうことはあります。人間が生きる生きるといっても、三〇〇や五〇〇もということはできません。限度があります。しかし限度があるといっても、いまのところは限度はあるが、しかし人間が増えて、必要があると、限度を突破するかもしれません。

 

〔 質問者 〕 人口の加減に乗じて過不足なくということがありますが、今年の日本がこういうような不作で、アメリカでは限度を越えて麦がたくさん獲れたということは、そういう意味もあるのでございましょうか。

【 明主様 】 そうです。日本人が間違ってそういうことをしているから、しかたなしにアメリカのほうをそういうふうにして、神様のほうでは、皆殺しにするわけにはゆかないので、目が覚めるまで繋いでゆかなければならない。そういう点があります。

「『御垂示録』二十七号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p308~309」 昭和28年12月01日