〔 質問者 〕 物理学に対する御論文で、『信仰雑話』の「宗教と科学」に原子爆弾に対する原理を現代科学に比較してお説きになっておられますが、現代科学で言われている説と食い違いがあるようでございます。
【 明主様 】 どの点ですか。
〔 質問者 〕 根本は火と水の関係ということはよく分からせていただきましたが、ウラニウム、プルトニウムの放射能によって原子核の破壊が行なわれるとおっしゃっておられますが、現代の物理学では、いまから四、五十年の間の発見では、ウラニウム、プルトニウムという非常に原子量の大きな元素は非常に不安定になっていると言われてます。
【 明主様 】 原子量というのはなんですか。
〔 質問者 〕 科学的の言葉ですが、一つの原子核の重量が大きいというわけで。
【 明主様 】 原子量というと、ウラニウムの重量ですか。原子核のですか。
〔 質問者 〕 ウラニウムは原子が集まって元素ができております。これを一つ一つに細かく分けるとウラニウムという原子と、それを取り巻く電子があります。そうしてこれはみんな放射性元素で、非常に不安定になっているので。
【 明主様 】 不安定と言うと。
〔 質問者 〕 原子核が壊れやすい状態です。そうして自然にほっておいても、自然に二つに分裂すると言われております。そうして原子核の中に陽子と中性子という二つが入っていると言われています。
【 明主様 】 そうするとウラニウムの元素は。
〔 質問者 〕 ウラニウム原子で構成されております。
【 明主様 】 それはウラニウムでなくても、なんでもそうです。そうしてそれがある程度固まると破壊されるのです。それがあらゆる物質の生命です。
〔 質問者 〕 現在言われていますのは、原子核の中に中性子と陽子が入っていて、原子核が壊れると中性子が飛び出し、それが他の原子核の中に飛び込む。そうすると非常に不安定な状態になっているので、その原子核が壊れて、それより中性子が飛び出すというようになってます。
【 明主様 】 それは、人間が死ぬと伜<せがれ>が跡を継ぎ、後また子供ができて持続しているのと同じ意味です。
〔 質問者 〕 その原子核の破壊というのは中性子によって破壊されるということを言ってます。ただエネルギーがどうして出るかということに対しての説明は、一つのウラニウムの原子核が破壊されると、別の原子核ができる。二つの原子核ができる。それにさっきの中性子ができる。そうすると元の原子核の重量と、いわゆる伜の元素の重量を比較すると、その間に一〇〇〇分の一ぐらいの質量がなくなっています。
【 明主様 】 それは息子のほうが軽いのです。それはそのわけです。息子のほうは育ってないからです。
〔 質問者 〕 アインシュタインが言っておりますが、すべての物はエネルギーに転化すると言ってます。一グラムの物をエネルギーにすれば、数量は忘れましたが。
【 明主様 】 数量を忘れるということが間違ってます。数量などがあるものではないので、無限なのです。いまの科学者が二○○○分の一とか、一万倍とか言っても、それは本当はもっと細かいので、一億万倍、もっと細かい。一兆万倍、もっと細かいのです。それを無限と言えば、それですむのです。
〔 質問者 〕 アインシュタインはそう言ってます。
【 明主様 】 ああいう人たちは、結局まだ手前になるのです。ただ科学のほうはだんだん細かく推定したり、発見する手段が進んできたのです。だから私から見れば御苦労様なことです。結局、無限ということが分かれば、それでおしまいです。
〔 質問者 〕 お伺いしたいことは、質量エネルギーということが、水素から解放された火素<かそ>ではないかと思いますが。
【 明主様 】 質量エネルギーが無限なのだから、重いも軽いもないので、やっぱりナンセンスです。ある元素は重いが、それがだんだん変化したりいろいろすると軽くもなるし、絶えず破壊と創造が行なわれているのだから、どうということは言えないわけです。ただ、いまのウラニウムを放射する場合に、ウラニウム自体が放射するのか、なにかに向かって放射するのですか。
〔 質問者 〕 一〇キロぐらいの物を、一つは九キロ一つは一キロに分けて、これを合致させると、量が少ないと爆発は起らないそうですが、それをある程度の量にすると、ウラニウムは互いに破壊し合って、連鎖し合って、というこれがいまの原子爆弾の原理だそうです。物理学のほうでは、中性子によって破壊されてゆく、そのときに質量エネルギーが放射されるとされてます。
【 明主様 】 それはまだ中途であって、まだその奥があります。二つを合致させたときに空間の水分を吸収する活動的力が出るのです。それである範囲の水素を吸収してしまうのです。そうすると、一つの水素がない空間ができるので爆発するのです。ですからそのウラニウムが爆発するのでなく、爆発させる作用が起るのです。私が書いているとおり、地球から水分をなくすれば、一瞬にして爆発する。そこで火素が爆発しないように水素が中和しているのだから、どっちかに片寄ったらぜんぜん駄目です。水素がなくなれば火素は爆発し、火素がなくなれば水素は氷結すると書いてあるが、その原理です。ですから極端に水分を吸収すべき物質ができれば破壊ですが、原子爆弾というのはその原理によって生まれたものです。しかしその原理までは、いまの学問では分からないから、衝突することによって爆発するというのです。その場合は非常な速度ではないですか。
〔 質問者 〕 どの程度か存じません。
【 明主様 】 つまり速度です。これによって活動力が起るのです。それが破裂すると、これだけの間の空間の水素分を一瞬にして吸収してしまい、なくなってしまうので、そこで爆発が起るのです。それは針の穴ぐらいのものでも、爆発すれば次々に爆発してしまいます。一瞬にして水分が抜けるのです。
〔 質問者 〕 それは中性子が水素をなくするというのではないのでしょうか。
【 明主様 】 中性子というのではないのです。その場合には中性子とかなにということでなくて、学問ではそこまでは分からないのです。一秒の何万分の一か、ごく瞬間で、時間は分からないぐらいで、パッと行った瞬間にそこに活動力が起るのです。
それでいま言う一番のことは、こうして(浄霊で)病気が治るが、ここから発射する粒子というのは、どのくらい小さい粒子か分からないので、そこで無限と言うよりないのです。無限の火素……火の本を放射すると、人間の霊のうちのつまり汚物で、これがまた、この粒子というのはどのくらい細かいか分からないので、やっぱり無限ですが、それにぶつかって行って、霊のうちの不純物……汚物を焼くのです。そこで汚物がなくなってきれいになるから、それが肉体に移写して、痛みがとれ病気が治るというわけで、これが科学的原理です。ですから霊の曇りなり、また放射する火素なりの粒子というのは、やっぱり無限です。それで無限であればあるほど力が強いのです。そこで神様の力というのが一番強いということは無限のためです。無限ということは、ごく細かい、細かい極端が一番力があるわけです。それで一番の有限は馬力で、馬の力というので、あんなに大きなものから出るのです。人間の感情で、ああとかこうとか考えるが、その粒子というのは実に微小なもので、分からないくらいなものです。ところが動物はそういった感情は少ないのです。人間のように哲学を考えるとか恋愛をするということはないので、人間はそういうことの、智能とか感情という粒子が細かいので、動物のほうは粗いので、深い所まで、人間のように複雑な感情は起らないのです。単純なのです。こういうことでも、程度の低い高いがあるのです。それで人間でも馬鹿とか愚鈍な人間は、やっぱり粒子が粗い奴です。
〔 質問者 〕 物性論につきまして、これは湯川博士が唱えたとありますが、これは湯川博士が唱えたものではないので、
【 明主様 】 そうです。前から唱えているのです。しかし湯川博士が一番熱心に言っているのです。ああいう学説というのは、そうとう前からいろんな学者が言っているのです。それが新発見ということではないのです。アインシュタインでもそうで、いままである説を、ちょっと上に行くのですが、そうするとその人が発見したようになるのです。
〔 質問者 〕 あれはやはり外国のほうでだんだん発展したもので、粒子という説はしておりません。
【 明主様 】 そうです。もし粒子なら性ということを出すわけはないです。だから物性論というのは本当に言えば仮定のものです。要するに、そうなるのだから、そういうものがなくてはならない。そういうものが活動しなければならない、という想像の範囲です。
〔 質問者 〕 未だ発見されてない粒子というように考えますと、非常によく分からせていただけます。
【 明主様 】 そうです。そこまで科学は来たのだから、物性論は宗教のほうに一歩入っているのです。
〔 質問者 〕 物性論は素粒子論とは別のほうに進んでおり、別の方向であって実は一つの方向です。別の方向ということは、物性論を行けば本当は科学ではないのです。だから分野が違っているから別のようだが、素粒子論を縮めれば、どうしても物性論に行かなければならないのです。ですからいまは違っているということは当然ですが、無関係に違っているわけではないのです。
〔 質問者 〕 それは出発点が同じであって、素粒子論というのは窮極の粒子の性質を研究する学問です。
【 明主様 】 ですから霊<れい>と体<たい>というわけです。素粒子論は体のほうの極論の進歩したものです。それで物性論は霊のほうです。ですから別々のようだが、結局密着したものです。
〔 質問者 〕 『光』新聞の「霊的に観たる湯川博士の功績」という中に、中間子の発見についてお説きになられてますが、中性子の発見と、そうして中性子を陰陽を合体した一つの新しい粒子として、中間子としてお説きにならず、中性子の発見であるとしてありますが。
【 明主様 】 そうですか。しかし私はそういうことは科学的に説くのではないのです。というのは、そういうことは始終変化しているのだから決められないので、一般に分かりやすいように書いただけです。そこで私が言いたい窮極は、無限だということです。
〔 質問者 〕 その後に中性子として、中間子と中性子の二つのお言葉が出ており、中性子は力であるとお書きになってありますが、
【 明主様 】 いや、力というのは無限です。それで中性子とか中間子というのは有限ですから力ではないのです。力でも、物質的のものです。
それで素粒子と中間子の関係はどうなっているのですか。
〔 質問者 〕 素粒子というのはすべての粒子で、中性子はその中に含まれている。それを全部合わせて素粒子論と言っております。
【 明主様 】 いつかアメリカでの宇宙線撮影のときに数個の点が写った。それが中間子ということで、湯川博士のそのことが実験物理学で裏付けができたということが功績でしょう。だからつまり粒子というものの、もっとも細かいものが実証されたわけです。
〔 質問者 〕 粒子としては、中間子は電子の二〇〇倍から三〇〇倍ということになってます。
【 明主様 】 しかし写真に写ったのでは、いままでで一番細かいのです。第一、科学のほうでは宇宙線は未だ分からないのですが、そういうものは分かりきったもので、これは『信仰雑話』の中に書いてあります通り、つまり星が地球を牽引している、その霊線ということを書いてあります。