昭和二十八年十一月二十七日の御講話(3)

▽前節から続く▽

 これはふだん言っているようなことですが、書き方を変えてみました。

(御論文「御神意を覚れ」朗読)〔「著述篇」第一一巻六六七―六六九頁〕

 いま「殺人原爆と活人原爆」というのを書いていますが、これを分かりやすく言うと、これ(浄霊)が活人原爆です。それからいまの原子爆弾は殺す原爆です。それで宇宙というものは、反対な二つの力があって生成化育されているのです。だから破壊の力と創造の力です。ですから地球は引力と言いますが、斥力《せきりよく》もあるのです。吸う力と、はね返す力です。前に、月の世界に行くとかということで、斥力を利用するという学者の説があったが、これは引力と反対な力ですから結構ですが、とにかくいま言ったように殺す原子爆弾と活かす原子爆弾があるわけです。それがちょうど時を同じくして生まれたということがおもしろいと思います。ですからこれはやはり原子爆弾と同じことです。ただここから出る火素《かそ》は、壊す原子爆弾よりもずっと粒子が細かい、上等なわけです。そこで、毒素を固める方法というのが、固まりきったときが破壊になりますから、それと原子爆弾とは同じです。ですからラジウムとかレントゲンというのは、やはり固める作用をする物です。それのもういっそう激しいものが、固まりを壊す作用になり、それが原子爆弾の原理です。ところが私のほうのは溶かす力なのです。ですから溶かして出す力です。これはちょうどいまのと反対の力です。けれども結局において力のすばらしいのは原子爆弾と同じです。ただ働きがアベコべになっているだけです。ですからこれ(浄霊)を原子爆弾と思って説明すると一番分かりよいのです。つまり人を殺す原子爆弾と活人原子爆弾がちょうど同じときに現われたということが非常におもしろいのです。というのは、いつも言うとおり、最後の審判は破壊と創造が同時に起こるのです。だからこれがつまりそれの根本的のものです。そういう具合に考えて説明すると、非常によく分かると思って話をしたのです。

△御講話おわり△

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p269~270」 昭和28年11月27日