昭和二十八年十一月二十七日の御講話(1)

一一月二七日

 この間上野の日展を見ましたが、その感想を書いてみたので読ませます。

 (御論文「日展を観て」朗読)〔「著述篇」第一一巻六六一―六六四頁〕

 いま読んだように西洋崇拝はいろんなことにありますが、美術面に影響されるのが一番厄介なのです。というこの根本は人種的の見方、つまり日本人より西洋人のほうが優秀だと思っている観念がたいへん間違っているのです。本当いうと日本人は民族的には世界で一番優秀なのです。これを私は日本人に知らせようと思って、終戦前はよく書いたり言ったりしたのですが、最初の『明日《みようにち》の医術』などに出てます。あれには「日本は太陽の国で、英国は月の国、米国は星の国」という具合に書いてあります。けれども終戦になってからそういうことを言うとたいへんですし、パージにする資格があるというので、ずいぶん危なかったのです。これはアメリカとしては無理はないのです。日本人がああいう戦争を起こしたのは、つまり自分の国の優秀性、八紘一宇《はつこういちう》というあれが元ですから、それを心配するのはあたりまえです。だからそういうことにはぜんぜん触れなかったのですが、しかし今日になってみれば、やはりそういうことを日本人に知らせるということは必要なのです。と言ったところで、別に野心があったりして言う意味ではないのです。お国自慢とか国粋ということとは違い、本当のことです。特に美術などは日本人が一番です。これは私みたいに始終美術を扱っているとよく分かりますが、だいたい仏像などでも、これは支那から来たものです。支那の北魂《ほくぎ》時代といって、ちょうど一五〇〇年くらい前で、唐の少し前です。その時代に支那では仏像美術が非常に発達して、俗に六朝《りくちよう》時代と言いますが、この時代の仏像が一番良いのです。それが唐の時代から日本に入り始めて、奈良朝時代になって俄然として、それをお手本にして日本がまねをしたのですが、ところがまねをするや否や、日本のほうがずっと上手になってしまったのです。ですから日本の仏教彫刻、あるいは絵画でもそうですが、それは支那のとみると、まるっきり比べものにならないです。それでどの点が一番勝《すぐ》れているかというと、日本仏像のお顔は非常に慈悲に満ちて柔らかく品格があるのです。それこそ拝む気になるような良いお顔とお姿なのです。これは奈良に行けばたくさんあります。ところが支那のはなんだか変なのです。安ッポイのです。間の抜けたような、仏様じみないで人間のような顔なのです。明治以後の仏像は人間じみてますが、これはやっぱり思想的にいやしくなったのです。そういうようなわけで、日本人の美の感覚というのは、とても勝れているのです。ということは、人種的にそうなのですからあたりまえなのです。それからみると、他の国、少なくともヨーロッパ人などの美の感覚というのは、日本人から言うとずっと低いのです。それで白人はいろいろな機械を作るとか、あるいは組織を作るとか、社会的のいろんな施設とか、そういうことには非常に勝れているのです。これは日本人より上なのです。ところが美術、芸術ということは日本人のほうが上なのです。だから日本人は外国の芸術を取り入れて、それ以上立派なものにするという、それが日本人の本当の天分です。それを知らないからして、そういうことも日本人のほうが劣るという劣等感が、今日の日本画を堕落させたわけです。そういうようなわけで、機械とか、実用品は外国のほうがよいのです。それから装飾品は日本人のほうが上だ、というその違いさが、はっきり分かればよいのです。ですからいまはめちゃめちゃになってしまったわけです。ちょうど人間の病気を機械や、木や草や鉱物などをのんで治そうというのと同じことで、おのずから違うという、それを知らないのです。そこに西洋文化の誤謬があるわけです。それで救世教はそういうことを知らせるのが大きな仕事なのです。そうして本当言うと日本文明……と言ったところで、いままでの文明ではなく、これから私がこしらえる文明が世界的になれば、初めて地上天国ができるのです。それ以外には、どんなことをしても駄目なのです。ですからいくら平和とか条約とか連盟とかをしても、それはやっぱり薬で一時押さえをするようなもので、絶対にうまくゆくはずはないです。事実、年中世界中は、ヤレ国際連盟とか平和連盟とか、いろんなことを言ってますが、ただそう言いながら、お互いに軍備をドンドン進めて、大戦争を起こす準備をしてます。だから世界の平和とか、本当の文明というのは、白人の頭では無理なのです。これは日本人の頭でなければ駄目なのです。ところが日本人の中にも、本当の日本人というのはごく少ないのです。つまり大和民族ですが、これは少ないので、ほとんど支那と朝鮮です。私がいつも言うとおり、ちょうど一割ぐらいが日本人の大和民族です。ですから八〇〇〇万のうち八〇〇万が大和民族で、あとの九割は支那系、朝鮮系なのです。それでその八〇〇万の系統のうちにもやっぱり上中下に分かれているのです。しかし大和民族のごく上等の人もすぐに嬉しがることはできないのです。というのは、日本がごく上代《じようだい》に支那、朝鮮に征服されたのですから……。それで征服されたために大和民族がそのほうの家来になったり、援護者になった人がそうとうあるのです。だからそういう人は、つまりそういった色に染まっている人がたくさんあるのです。それでその色をとっていって本当の純粋の大和民族になるということが、いま神様のほうでやられていることなのです。それでその優秀な民族が本当の文明、つまり平和の文明を作りあげて、初めて地上天国ができるのです。根本はそういうわけなのです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p264~267」