昭和二十八年十一月二十五日の御講話(3)

▽前節から続く▽

 この間、日展を見ましたが、それに対して感じたことを書いてみました。

 (御論文「日展を観て」朗読)〔「著述篇」第一一巻六六一―六六四頁〕

 とにかく日展と言えば、展覧会中の王座を占めているのですが、そこに行って日本画というのは一枚もないので、全部洋画です。ただ以前の洋画といまの洋画との違いは、以前の洋画は油の絵の具で画いて、いまの洋画は日本の絵の具で画いたという違いで、私は実に驚いたのです。それで「いったいこれは買い手があるか」と聞いてみたのですが、「買い手がない」と言うのです。「買い手がなければやってゆけないではないか」と言ったら、やはりそれを抵当にして金を借りたり、知人を頼って、いろんな会社やなにかの応接間に、頼んで掛けてもらうのだそうです。買うほうは気の毒だというので、絵の具代だけくれるというわけで、わずかにお茶を濁しているというのです。ですから稼がなければ食えないというのでは、いまは画家になれないそうです。半道楽以上でしょう。そういう人たちが、高い絵の具を使って、カンバスや……日本画は絹のようですが……大きな絵を、どのくらいあるか分からないが、落選を入れたなら、一回の展覧会で何千万円でしょう。そこにもっていって民間の展覧会もあります。洋画のほうが多いですが、とにかくそういったものに使う金というものはたいへんなものでしょう。何億というものでしょう。こういうことを言うと怒られるが、実にもったいないです。それに対して外字新聞に出ていたことですが……翻訳して今度の『栄光』に載せますが……日本の画家に対しての批判です。日本画は、つまり昔からの藤原時代、鎌倉、室町時代、桃山、元禄という時代の良い所、特色をとって現代画を作ったら良いだろうということを書いてあるのですが、これは実によい意見で、私も常にそう思っているのです。それでこそ初めて日本としての良い芸術ができるのです。ところが日本はいま言ったような具合で、いままでの伝統をすっかり捨ててしまったのです。それで西洋から入ってきたものを、絵の具だけを日本の物を使ってそっくりまねしてしまったので、その無知どころではない、少し変態的になってきたのです。その原因はいま読んだとおり極端な西洋崇拝に誤られたのだと思います。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p254~255」 昭和28年11月25日