一一月二五日
昨日アメリカの人で、NHKの外国放送の主任の妻君で、『ニッポン・タイムズ』という外字新聞の記者であり、美術評論家……美術についてはだいぶ深いようです……である婦人に昨日箱根美術館を見せたのですが、なかなか頭が良いのです。とにかく私が思っていることとピッタリしているのです。先方も共鳴しましたが、私も大いに共鳴したようなわけです。その人のいきなり言ったことがこういうことなのです。「自分は世界中の美術館を見た。なるほどずいぶん立派な物がある。また日本でも、奈良とか京都とか、それぞれのお寺にもたいした物がある。けれどもすべてはそれだけだ。ところが箱根の美術館を見ると、美術館以外の庭園……庭とか木とか草とか、そういった物の一つ一つが実によく調和がとれている。要するに天然の美を発揮している。だから美術品を見るばかりでなく、その全体の空気……雰囲気に溶け込むというような、実にいい気持ちがして去り難い。だからまだ見残したような気がして、物足りないような気がしてしようがない」と言ってました。予定よりかずいぶん長く見たようですが、美術を見る以外にそういう一つの空気に浸って、なんとも言えない良い気持ちがしたというわけなのです。箱根を観た人はみんなそう思っているでしよう。そう思っている人はあるでしょうが、それを言葉に出したのを聞いたのは初めてです。私としても、美術館以外に全体的にそういうような感じを出して、つまりそれによって、楽しみながら高い気持ちに浸るというところを狙ったのですが、その婦人はよくそれを言い現わしていたので、私も非常に気持ちがよかったのです。それから美術よりも宗教的の話のほうがはずんで、だいぶ深い所まで話し合いました。いずれ『ニッポン・タイムズ』には出るはずです。それで宗教的のいろいろな話をしていても、実にすばらしいと思います。その見方がちょうど私の見方と同じなのです。というのは、たとえてみれば、キリストや釈迦はたいした仕事をしやしないではないかと言うのです。どういう計算か知らないが、あの人のやったことは六〇〇年くらいの間は成果をあげたが、それ以上は別にたいしたことはない、というような意味でした。これはアメリカ人としての考え方で、あくまで現実的に見てゆくのですが、これは非常によいと思います。その点私の見方と同じなのです。それに対して日本人はどうも伝統観念が根強く入っているために現実から離れてしまうのです。だから救世教なら救世教を現実的に見たらすばらしいものと分かるのですが、やっぱり伝統が邪魔をして、つまり色眼鏡で見るようなわけです。それからまたこういうことも言いました。日本人は明治天皇を非常に崇《あが》めているが、自分からみると、明治天皇はただ軍人を作ったり、武器はよく作った。単にそれだけではないかと言うのです。それ以外に外国文化を採り入れたということもありますので、いまの言い方は少し酷いようではあるが、世界平和に貢献せぬという意味では、その見方は間違ってはいません。そうしてだんだん話をしているうちに非常に共鳴して 「これから大いに救世教をアメリカに紹介する。これからいろんなアメリカの偉い人が来たら連れてくるから、よいか」と言うから、「私のほうではいつでもできるだけ都合して会うから」と言ったのです。「まず自分の主人を連れてくるから、大いに話をしてもらいたい」。またこういうことも言っておられました。「自分は日本に四年いるけれども、あなたのような人には一人も遇わない」と。つまり私の言うことが、なんにも囚われないで、ズバズバと物事の急所を言うわけですから、ちょうどその点はアメリカ人によほど似ているのです。なんでも実際的なのです。それで、自分は日本に永住的に住まうつもりで家を買って、日本人の生活……畳に坐って、日本の食い物を食べるというので、日本が好きなのです。それで「自分がそういう方針にしたのは非常によかった。あなたのような人を見つけたために意義があった」というようなことを言ってました。
日本の新聞記者などにもずいぶん会いましたが、ぜんぜん違います。それで先方で「アメリカのどこがよいか」というようなことを聞きましたから、私は「アメリカの一番好きなのは正義感が強いことだ。これは世界でアメリカが一番だ」と言ったのです。「世界の平和を維持しているのはアメリカの正義感だから」と話したのです。するとアメリカの非常な金持ちのロックフェラー(これは三代目だそうです)とか、カーネギーとか……ああいう人になると、いまは金は使いきれないほどあるのだから、金持ちということのありがたみは感じない。それで「世界をいかにして平和にするかということばかり考えている。それにはどういう方法をとったらよいか、ということに苦心しているくらいだ」ということを言ってましたが、アメリカの金持ちを、ガリガリ亡者のように見られたくないというような気持ちなので、私は言ったのですが、アメリカの人は非常に金を儲け金を集めるということは、世界に正義を行ない平和を維持せんがためには大いに物質がいるから、その物質を得るにはたくさんの金がいるから、そういう意味でアメリカは大いに金を集めるというように考えていると言ったら、非常に喜んでました。将来ロックフェラーと会うようなことになるでしょう。そういうような具合で、一口に言うとアメリカの思想というのは非常に大きく、世界的なのです。ところが日本人との話はどうも国家的です。いかに日本を良くするか、日本を再建するにはどうすればよいか、日本の政治家がどうとかこうとか、そういうような話だけです。それで私はそういうようなことは問題にしないのです。世界をどうするかということです。今日の世界に、国家が良いとか悪いとか、そういうことはごく末の問題で、世界をどうするかということで、要するにその大きさです。いつも言うとおり、宗教でも、日本人だけを相手にしてもしようがないです。日本だけ良くしても、世界が良くならなければしようがないです。昔の鎖国時代と同じです。日本を良くするには世界を良くしなければならないのです。宗教も、どうしてもアメリカを相手にするよりしようがないことになります。だんだんアメリカの識者に、この救世教というものが分かってゆくだろうと思います。なにしろ本当に人類のためになることと、人類のためにこうすればよい、ということに心が向いているのはアメリカ人だけです。そこにゆくと日本人で本当にそう思っているのは、ごく少ないと思います。少なくともジャーナリストなどもそういう考えです。というのは劣等感です。日本人は、とてもかなわないというように決めているために、どうも目が国内的に行って世界的に見ないのです。見方が小さいわけです。しかしいままではそれよりしかたがないだろうと思います。ですから日本人の再教育をしなければいけないのです。再教育ということは、結局において視野を大きくして、正義によって世界を平和にして、みんなを幸福にするという、そういった大きい観点からすべてを割りきってゆけば本当によいわけです。ところが日本人の中には、そういったアメリカの方針に対して、それを嫌って邪魔するのをよいとしているのです。けれども、駄目なことは分かっていて一生懸命にやってますが、これらもまだまだ日本人の見方の小さいためもあるでしょう。
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