昭和二十八年十一月十五日の御講話(2)

(前節から続く)

 それからいままで見たお寺で、一軒一軒見ても、本当にこれはという物は一つのお寺に一、二点です。多くて四、五点くらいです。今度行った三宝院<さんぽういん>……醍醐にあるお寺……は、なかなか有名なお寺で、お寺にしては割合にきれいに調<ととの>ってます。これは懐がよいためだと思いますが、お寺では一番裕福そうに見えます。特に秀吉が力を入れたらしいのです。醍醐の花見というのはこのお寺の地所の中でやったのです。だからいろいろな道具がありました。仏像はあまり頭に残る物はありません。仏像はやはり奈良のお寺です。それで、これはと思うのは宗達の屏風で、有名な「舞楽の図」ですが、これはたいした物です。「舞楽の図」と「扇面ちらし」と両方ありますが、「扇面ちらし」のほうは、絵はよくできてますが、最近やつれたので金箔をすっかり置き直したのです。ですから非常にきれいですが、やはり絵と調和しないから、そこに難点があるわけです。それで「舞楽の図」のほうはそっくりそのままでなにも手をつけないから、これはすばらしい物です。それから醍醐寺の庭は秀吉がずいぶん指図して力を入れて造ったということになってますが、秀吉はああいう太っ腹の人だから、そういったおおまかな感じが出ているかというと、それが反対で、実に箱庭的のせせこましいオモチャみたいな物です。見た人は知っているでしょう。私はあの庭はむしろやり変えたほうがよいと思います。いかにもオモチャじみた物で、外人などには見せたくないくらいな物です。京都の……たいていお寺ですが……庭というのは他の美術と比べて、あまりにかけ離れているのです。京都は小堀遠州<こぼりえんしゅう>の庭が多いのですが、やはり遠州という人の性格がそうだったのだと思いますが、実に構想が小さ過ぎるのです。それでお寺に行くといろんな説明をしてます。これはいつのころ、何年にだれがどうしたとか言ってます。これはお茶の影響もあります。遠州も大茶人ですから。これは狭い庭ならよいのです。ところが大きな庭に茶人の庭を造ったからして、しっくりとゆかないのです。結局京都は庭だけは失望するというわけです。どこの庭を見ても坊さんの説明のほうがずっと感心します。まるでそこらに転がっている沢庵石みたいな物を、たいへんに由緒ある物のように巧みに説明してますが、それは実にうまいものです。そういうわけで、私は今度の嵯峨<さが>の平安郷にはまるっきり違った、もっと大胆なアッとするような物を造ろうと思って、この間ちょっと設計しました。それで京都の庭として、日本のいろんな草木、石、そういう物をあしらって造れば、こういう良い物ができるという見本のような物をこしらえようと思ってます。それとともに各寺にある本尊様を除いた良い物を一カ所に集めて見せるという仏教美術館は、ぜび造ろうと思って考えてます。ですから京都には良い物がありながら生かすことができなかったのです。
▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p236~237」 昭和28年11月15日