昭和二十八年十一月十五日の御講話(1)

 今度京都に行っていろいろなお寺を見てきました。今度であらかたお寺は見てしまったような気がします。一番見たかったのは正倉院です。ちょうど奈良博物館に陳列されてあったので非常に落ち着いて見られました。前に東京の博物館のときにはたいへんな人で、とても見られなかったのです。それが今回は東京の博物館の人と、そのほうの道具屋の中でも一番の専門家の人と二人がよく説明してくれたので申し分なかったです。それで正倉院の物も一部だそうですが、だいたい奈良朝時代としての特色ある物です。しかし仏像はほとんどないです。それですっかり見た結果認識が変わったのです。というのは、世間で大騒ぎをやるほどの価値はないように思えるのです。というのは、芸術的に見るとそれほどの価値はないのです。なにしろほとんどの品物は調度品つまり室内家具が多かったのです。だから芸術的に見るとそれほどの価値はないのです。ただ一〇〇〇年以上前に、よくもこれほど巧みな物ができたというだけの話で、とうていいまはまねもできない、大天才が作ったという点ではないので、いまでもあのとおりにこしらえようと思えばできます。ただ古い時代にこれだけの物ができたというその価値です。ですからもう一度見に行こうという気はありません。これは遠慮なく言う話ですが、そういうようなわけで、あれは日本人だけで、外人が見たらそれほどの感激はないと思います。

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「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p235~236」 昭和28年11月15日