京都劇場での御講話(6)

(前節から続く)

 次には自然栽培ですが、これもだんだん進んできまして、今年は初年度からすばらしい成績をあげられる技術が進みました。これは最近たびたび言うとおり、日本の水田の表面というものが肥毒のために壁のようになっているのです。だからそれを深掘りによって壁をつき破って純粋の土を浮かび上がらせるというわけで、つまり天地返しをすると、初年度からよけいの収穫をあげられるということを中京方面で発見といいますか、始めたわけです。それであの辺が非常に注目をあびて、普及会員になる人が、それこそものすごいほどできるのです。これがだんだん拡がったらたいへんなことになるでしょう。とにかく今年は結局五三四七万石というのですから、去年より一二〇〇万石ぐらい少ないのです。そこでそういった不作というのは、神様がいいチャンスを作られたとしか思われないのです。そういうようで、日本におけるいま一番厄介な問題が救世教によって解決されるとしたら、みんな手を合わして拝まないわけにはゆかないと思います。これだけでもたいへんな救いです。それこそ日本始まって以来、これほど大きな救いはありません。それについて最近聞くところによると、なるほど肥毒が固まってコチコチになっているそうです。肥毒の固まらない所とか気候や土質の関係もありますが、ごく酷い所になるとコチコチになって層になっているそうです。だからそういう所に稲を作ったところで、できるわけがないのです。今年の凶作の原因には冷害や風水害がありますが、それよりも肥毒の壁を作ったということでしょう。そういう肥毒を稲が吸うからして虫がわくのです。またそれに対する消毒薬からまた虫がわくというわけで、一生懸命に凶作の因<もと>を作っているようなものです。今日はなにからなにまで「超愚」です。超愚だらけになっているのです。ですからこれは科学が根本ですが、科学はいっぽうにおいては人間を助けながら、またいっぽうに酷い目に遭わしているのです。いっぽうで撫<な>でて、いっぽうで拳骨で叩<たた>いているようなものです。この科学の良い所ばかりを見て惚れてしまったのですから、この迷信を打破するのが大仕事なわけです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号,岡田茂吉全集講話篇第十一巻p226~227」 昭和28年11月10日