京都劇場での御講話(2)

(前節から続く)

 この救世教も知らるるとおり、近ごろになりましてだいぶ発展するとともに、よい意味における社会の見る目が変わってきました。これはあたりまえの話です。だいぶ長い間いろいろな誤解のもとに苦しんではきたのですが、とにかくいくらか理解されかかってきたような具合で、大いに喜んでいるしだいです。そうしてそれについて、これからの発展すべきいろいろな面があります。アメリカ、ハワイ、日本と、この三つの面にだいぶおもしろくなるようになってきましたが、その話をいまからします。

 つい五、六日前にアメリカの『シカゴ・トリビューン』という新聞で、大新聞の一つです。あっちのものでは、『ニューヨーク・ヘラルド』『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』それにいま言った『シカゴ・トリビューン』が四大新聞というようなものでしょう。そこの東洋総支配人のシモンズという人の奥さんが来たのです。これは夫婦で新聞記者なのですが、その婦人というのがなかなかなもので、やっぱり記者をするだけあって、さすがにすばらしい頭です。こっちの言うことに対する理解と、急所をつかむところなどは、いままで日本人にもちょっと見られないような鋭さです。だから話も非常にはずんで、といったところで通訳が間に入るのですから、やりにくいのですが、それでもなかなか分かるので張り合いがありました。それでその見方などは日本人と違って、おもしろい見方をしているのです。例えば、私の経歴をザッと話をしたところが、「あなたは珍しい、釈迦やキリストは若いときから宗教的に生活していたが、あなたは五〇過ぎてから宗教に入ったということは非常に変わっている」と言うのです。これは私も気がつかなかったのですが、そう言われてみると、意外なところに目をつけたものだと思いました。二、三、気のついたことを話しますが、日本の天皇制ほどう思うという質問があったので、私は天皇制がなくなったということは非常によい、喜んでいる。というのは、この間の太平洋戦争にしても、結局ある一部の野心家が、天皇を利用してああいう馬鹿馬鹿しい戦争を起こしたのだから、天皇制がないとしたら、つまりああいったような戦争は起こす方法がない。そういう心配がなくなる点から言ってもたいへんよいと思う。それについて、日本はだいたい戦争をする国ではないのです。日本という国にはそういう使命はないので、日本はどこまでも平和的です。……美による平和です……これは日本のあらゆるものがそういう条件になっているのです。だから将来は世界の公園、世界の楽園というような国になるのが本当の日本の国柄です。それを戦争というぜんぜん違うことをやったというのは、つまり日本人が本来の国柄を間違えたというわけで、そういう意味から私は地上天国を造り、美術館を造るということをしているのです。そういう意味のことを話したのですが、非常に共鳴してました。私の考えとしては、地上天国ほいまほ箱根、熱海で、今度は京都に造るつもりです。それから無論ハワイにも造るつもりだ。いずれは米国にも各地に造るつもりだ。とにかく世界中がいまやりつつあるのは、どこの国でも公園です。公園はなるほど大衆的で非常に結構だが、公園より、もういっそう高いレベルのものを造らなければならない。というのは、今日娯楽機関というものは、いかにも俗悪きわまるもので、人間の品性を向上するようなものはない。むしろそれを見て堕落するくらいなものです。そういった悪いものがずっと多いのだから、いっぽうでまた人間の品性を高めるようなものも必要とする。それには公園以上の、もういっそう高いものを世界中に造らなければならない。その見本として私はいまこしらえているわけだ、と言いましたが、そういうことも非常に共鳴してました。そのときは箱根の美術館を見てきて、それから熱海の地上天国に私が案内して、いろいろ見せましたが、見るもの聞くものあんまり心を打たれて言葉の出しようがないと言ってました。そういうようで、よほどびっくりしてました。通訳をした人は、浮世絵の研究家で、英語がそうとうできるのです。そうして一週間に一度アメリカの人に英語の講話をしているのです。その人は浮世絵の売買をしてますから、箱根美術館の中にもその人が持ってきた物がずいぶんあります。それで東京へ帰ってからその記者は「岡田という人は自分としては少し荷が勝ち過ぎる」と言ったそうです。それほどとは思っていなかったらしいのですが、私の言うことは、どっちかというと先方よりかなり上手<うわて>のほうですから、タジタジなところがたくさんあったわけです。自分の主人が近々朝鮮から帰ってくるから、そうしたら主人によく理解をさして、無論大いに共鳴すると思うから、アメリカに帰ったら『シカゴ・トリビューン』に大いに書く、紹介するというわけです。「世界平和の建設者」という題で書くから、伝えてくれということを言ったそうですが、無論出るでしょう。それでアメリカに私を紹介するトップを切らしてもらいたい、ということを大いに言っていたそうです。それから私はこういうことを言いました。とにかく世界の文明は現在物質文明と精神文明で、これを分かりやすく言えば、アメリカは緯<よこ>の文明で日本は経<たて>の文明だ。だから経と緯を結ばなければ本当の文明はできない。そこで救世教は緯の文明と経の文明を結ぶ計画なのだ。だからちょうどあなたが来られたのは、その第一歩と思うと言ったら喜んでいました。私らのバッジもそういう意味を現わしていると言ったのです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号,岡田茂吉全集講話篇第十一巻p220~222」 昭和28年11月10日