京都劇場での御講話(1)

 京都には今度で五回目になりますが、京都の特色の仏教美術をはじめ、いろいろな所はあらかた見ました。その感想を申しますといろいろな美術品とか、そういう物は立派な物がたくさんありますが、ただ私として非常に物足りないのは庭園です。遠慮なく言えば、いかにも酷いのです。庭園らしいものはないと思われるのです。これはその時代の関係かもしれませんが、いかにも箱庭的でみすぼらしいのです。雄大さがないのです。他の寺のいろいろな宝物やなにかは実に立派なすばらしい物がありますが、庭園だけはいま言ったように貧弱なのです。それでいずれは造るべき嵯峨<さが>の平安郷ですが、あそこは建物としては仏教美術館です。それを建てるとともに庭園も、いままでの型を破って思いきって新しい、つまり現代感覚によく合うようなものを造ろうと思ってます。やはりあらゆる文化というものは、その時代の色、つまり時代の感覚をできるだけ表現すべきが本当です。そういうわけで庭園も、とにかく京都の古い時代からのいろいろな形以外……そうかといって西洋のガーデン風ではぜんぜん合いませんから……新しい感覚を十分表現し、そうして京都のいろいろな特色を十分に発揮したものを造ろうと思って考えています。五回の収穫による考えはそういうところに来たわけです。その話はこのくらいにしておきます。

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「『御教え集』二十八号,岡田茂吉全集講話篇第十一巻p219~220」 昭和28年11月10日