名古屋市金山体育館での御講話(1)

 今日は少し変わった話をしようと思います。御承知のようにわが救世教も順調に育ちつつあります。それについて各方面からいろいろ注目をされるようになりつつあります。なにしろいままでの宗教と違って、非常に変わってますから……といってもこっちが変わっているのではないので、先様が変わっているので、こっちはあたりまえなのです。ところが世の中が変わり過ぎてますから、まともな者が変わったように見えるのです。だから非常にやりにくいのです。

 ついこの間も文部省の宗務課長補佐の人と、朝日、毎日をはじめいろいろな新聞連合機関の人が六、七人来ていろいろ質問をしたのです。私も話はしましたが、救世教というのは、やっぱり宗教ではないのですかと言うのです。だから私は宗教ではないのだ、宗教以上のものだと言うと、それではどういうわけで宗教という名にしたのですかと言うのです。文部省の役人もいましたが、宗教よりほかにこういうものを入れる項目がないから、取り扱い上宗教の中に入れなければしようがないから宗教という名にしたと言ったのです。だからしようがないです。ほかになにか名をつけるよりしようがありません、と言ってました。そういうような具合で、これからだんだん表面的活動になってくるのです。しかしこっちでわざわざそうするのではなくて、世の中からそういうふうにし向けられるというようなわけで、自然です。それでこの自然が私の方針なのです。つまり自分で「オレはこうだ、オレはこういうことをする」と言って最初から大手をきってやるというのでなくて、コツコツとやっているうちに世の中からいろいろなことを言ってき、希望してくる、というように発展して行くというのが自然です。いつも言うとおり、物が育つようなやり方でゆかなければいけないというのはそういうわけです。

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「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p213~214」 昭和28年11月08日