昭和二十八年十一月六日の御講話(5)

(前節から続く)
 それから宗教についてちょっとおもしろいことを書いてみました。

 (御論文「生きてる宗教」朗読)〔「著述篇」第一一巻六四四ー六四七頁〕

 それからさっき言った『シカゴ・トリビューン』の記者にこういう話をしたのです。地上天国は箱根、熱海に造って、さらに京都に造る。その次はハワイにも造るし、それからアメリカにも造り、漸次ヨーロッパから世界中に造ることになる。これはいままで公園は世界中どこにもできているが、公園ではあまりに大衆的で、ただ憩いとか、あるいは子供の遊び場といったようなもので、レベルが低いのです。ところが地上天国のほうはもっとレベルの高いものです。要するに美によって人の情操を高めるという考えでやるのだ、私はそういうものが必要だというのです。とにかく現在いろいろとそういった娯楽的に見るものとしては、あまりに俗悪過ぎて、要するにそれを見て品性を向上するというよりか、品性を堕落させるものが多いくらいです。そういった観覧物がいっぱいですから、その中で品性を高めるべき、要するに高級なものもなくてはならないのです。私の言う「地上天国」というのはそれが目的だ。だから公園のもっと上等なものです。そういうものを世界中に造って、美によって大いに人間の品性を高めるのです。そういうつもりだということを話しましたが、非常に共鳴してました。そこで救世教は病気を治すということは分かりきった話です。それから農作物は食って余るくらいできるということも分かってます。それとともに人間の魂を磨き良くするのです。ところがいままでは魂を磨くというと難行苦行でなくてはいけないと思っていたのです。いろんな修行です。それがこっちは反対で、楽しみながら魂を磨くというわけです。汚い社会、厭<いや>なことを聞いたり見たりして、要するに心を始終汚してしまうのです。ですからときどきはそれを洗濯するわけです。つまりその汚れを取るという機関がなくてはならないのです。それが「地上天国」です。それには美というものですが、美にもいろいろあります。ストリップでもやはり美です。あれは、神様の造った人間の若い女性というものはすばらしい美です。けれどもあの美は、美しいだけで品性を高めるということとはちょっと逆です。だからあれもあえて全部否定するということは、道学者的になりますが、ああいうものも見て結構ですが、それとともにまた品性を高める美というものも見なければならないのです。それにはどうしても地上天国的のもので、それにはいつも言うとおり天然の美と人工の美です。この人工の美ということは、口では言うが、いままでは駄目だったのです。その記者に言いましたが、立派な芸術家が苦心して作った良い物を、ある一部の特権階級が人の目に触れない所にしまっておいて、少数の自分の関係者に見せるということと、財産保護法の手段としてそういう物を集めるというだけのもので、どうもはなはだ本当ではない。それは非常に間違っているから、私はできるだけそういった立派な物を集めて、そうしてそれをだれでも見られる、一人でも多くの人に見せるということが本当なのだから、その目的が主なものだということを言ったが、非常に共鳴してました。これは日本人もそうですが、外人は特にそういう美の独占は非常に悪いということを思っているのです。ですから国によっては、日本の国宝とか重要文化財ということもいけないと言って、フランスあたりでは、そういった非難があるそうです。国宝などといって、自分の国に大事にしまって、外国の人に見せないという考えはどうも良くない、ということを言っているそうです。箱根美術館のようにああいった良い物を大衆に見せるということは、非常に共鳴するのです。とにかく民主的美術館です。ところでいままではほかの個人的美術館というと、まず財産保護のためです。これは記者も言ってましたが、他の美術館はようやく春秋二回のわずかの期間見せるだけだから、どうも一種の財産保護のためのようでおもしろくないが、救世教の美術館はそうでなく一般に見せるということは、いままで日本人ではやらないことだ、ということを言ってました。そういうこともよく見たと思って感心しました。また博物館はどうかというと、博物館は美術が本位でなくて、歴史学的、考古学的のもので学問的の一つの参考品です。本当に美術といえば古美術であって、古いほうがずっと良いのです。それで現代美術のほうもこのごろはだいぶ人の目に触れるようになりました。それから良い物でも西洋の絵は見られるようになりましたが、日本の古美術というのは、まことに見られないのです。これは箱根美術館だけです。また支那の東洋美術にしても、それが本当に鑑賞できるのは箱根美術館だけです。その意味において外人もようやく認めてきたわけです。
 それからいまの『シカゴ・トリビューン』は、社員が四二〇〇人で、本社が二四階だそうです。日刊の頁数は六〇頁というのですから、ベラボウに大きなものです。

(御講話おわり)

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p204~206」 昭和28年11月06日