昭和二十八年十一月六日の御講話(3)

(前節から続く)

 二、三日前にアメリカの『シカゴ・トリビューン』という大きな新聞……アメリカでも大新聞のほうでしょう……の東洋総支配人の奥さんで、婦人の記者です……アメリカには婦人で偉いのがいます……なかなか頭が良く、観察や、そういうことが実によく、日本人と違った見方をしていました。そうとうに新聞に出すらしいのです。ずいぶんよく質問し、約二時間ぐらい、いろいろと話をしました。これは無論そうとう紙面に出すようです。「日本におけるとにかく飛び抜けた存在だ、飛び抜けたものが現われた」というような見方をしているらしいです。そして救世教を紹介するのに、自分のところがトップを切りたいという意向なのです。当分の間はアメリカの他の新聞がもしか来ても、話をしないことと、広告をしないことと、そういうことを前もって断ったくらいですから、そうとうに認められるだろうと思ってます。やはり美術館によって一番心を動かしたらしいのです。ああいうようなものは、つまり日本にはまだない、それからその根本は宗教だ、そこで主に宗教的のことを聞きましたが、その中でおもしろいと思ったのは、私が宗教の仕事をしたのは五〇ぐらいからで、本当に専門にやるようになったのは約二〇年ぐらい前からです。ところが釈迦やキリストは、生まれながらというか、ごく若いときに宗教の仕事をやった、私は五〇からというのは実に世界に例がない、珍しいと言ってましたが、そういう見方などは、日本人にはちょっと気がつかないようなことだと思います。いろんな話をしましたが、結局アメリカは緯<よこ>の文明の中心であり、日本は経<たて>の文明の中心だ、だからどうしても経と緯を結ばなければならない。救世教はその結びの仕事をするということは前から決まっているのだから、あなたが来られたのもそういう意味ではないかと思う、というような話をしました。それから熱海の地上天国も見せましたが、非常に驚いて感心してました。どうも見るもの間くもの心を打たれる、だからなんと言ってよいか言葉がないと言って、とにかくこういうような構想はアメリカにもないと言うのです。それでこういうことを聞いてました。「こんな景色の良い所をどうして」と言うから、「私が八、九年前から手に入れてやった」と言うと、「それまで熱海の人がどうして残しておいたか、なにもしなかったということはどうも疑問だ」ということを言ってました。「それはここは薮みたいで、こんなような形さえぜんぜん想像もできないほどだった」と言ったので、やっと分かってました。とにかくこれからアメリカのほうもだんだん燃え始めるだろうと思ってます。ハワイのほうはますます発展しつつありますから、近き将来ハワイはメシヤ島になるかも分かりません。つまりほとんど救世教信者になるとすると、ハワイ島でなくてメシヤ島になるだろうと思ってます。そうすると世界的に注目されてきますから、急激にハワイ全島に拡がるということは、よほどの脅威的力があるものに違いないというようなことになって、そこでアメリカなどもだいぶ注目されて発展してくると、そこで初めて日本の新聞とかそういうものが目が覚めてびっくりすることになり、そうすればこっちの出版物でもなんでも喜んで歓迎し、それからまた私の言ったことはなんでも「結構だ、本当だ、それに違いない」と言って感心するというようになります。それまでのことです。大本教のお筆先に「灯台下は真暗がり、遠国から分りて来るぞよ」というのがありますが、いま言ったような意味だろうと思ってます。なにしろ日本人は、つまり自信がないのです。劣等感が強いのです。それも無理がないので、昔は支那文化で、なんでも支那でさえあればよいというのです。ですから骨董品でもそうで、唐物<からもの>といえばたいへん尊ばれたものです。それでいま茶入などでも唐物といってあります。もっとも文字からいっさい支那の文化を取り入れたのです。ですから調べてみると、宮中……皇室の行事やいろんなことは支那のものを写したものです。昔から「日本は駄目だ、どうしても外国でできたものでなければ良い物がない」というような、一つの伝統的にそういった信仰というようになっているからして、いまでも舶来物でなければ駄目だというのです。もっともだいたいいまの日本の文化は、みんな舶来ですから無理もないです。化粧品の広告も、いやに「アメリカ、アメリカ」と出てます。アメリカではやるとか、薬がどうとかとあります。ペニシリンの広告に「アメリカ以上の効果がある」とか出てます。しかし化粧品などは馬鹿げてます。アメリカの婦人と日本の婦人とは皮膚が違います。第一食べ物が違います。それを同じに思っているのですから、アメリカ崇拝の結果そういうふうになったわけです。ところが私はアメリカの文化が間違っているというのですから、よほどくい違っているわけです。なにしろ「アメリカを救う」というわけですから、ある時期までは「救世教という奴は変な奴だ」と言うが、そうかといって悪いものとは思えないのです……悪くはないのですから。良いものとしても、少し桁外れだし、そんな偉いものが日本から出ることはない、日本人でそんな偉い者はいないと決めているのです。特に決めているのは……これは世界的かもしれないが……キリストとか釈迦とか、ああいう人よりか偉い人はもう出るはずがない、地球上に現われるはずがないと固く決めているのです。私がキリストや釈迦などはずっと下だと言っても、正気の気違いくらいに思って、どうも少し変だととられるぐらいなもので、そう急には分かるわけがないのです。これもあまりに桁違いなのでしかたがないです。だから『奇蹟集』などは、いずれは大問題になるべきものです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p201~203」 昭和28年11月06日