昭和二十八年十一月五日の御講話(4)

(前節から続く)

 それからつい四、五日前に文部省の宗務課長補佐と朝日、毎日、時事、そういった新聞の学芸部の連中が六、七人来て、対談しました。いろいろなことを聞きましたが、とにかく、やっぱりみんな救世教も新宗教の一つと見てますが、どうもそれは嘘であるし、それから新宗教とはぜんぜん違うから、私のほうで「宗教ではない、宗教より上のものだ」と言ったところが、「では救世教という名前を変えたらよいではないか」と言うので、「しかし名前を変えても、文部省のほうにそういう項目がないから、宗教のうちに入れなければならないので、しようがない」と言ったところが、文部省の人も「それはそうだが、いまのところはしようがないです」と言ってましたが、ほかの宗教とは違う、断然かけ離れているということを認識させるのがもっとも必要なのです。いま新聞に出ている霊友会や立正佼成会などと同じ列に加えられるということは、はなはだ遺憾なのです。しかしこれもチヨットやソットではなかなか分からせられるわけはないのですから、あの手この手でいろいろな面から説いて、だんだん分からせてゆくよりほかありません。けれども分かりかけてはきたようです。見方はよほど違ってきました。おまけにそういう点においては美術館などが非常に役立ったわけです。

 これも一つの見方を書いたものです。

 (御論文「生きてる宗教」朗読)〔「著述篇」第一一巻六四四ー六四七頁〕

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p197~198」 昭和28年11月05日