昭和二十八年十一月五日の御講話(1)熱海美術館と水晶殿の構想

 「農業特集号」ですが、ちょっと時期が早かったのです。というのは、収穫について予想の所がだいぶあったので、よく調べてみると、どうも正確を欠いた点がだいぶあるのです。どうしても収穫を得て、そうして何石何斗何升穫れたというのでなければ正確ではないから、それにはもう少し延ばさなければならないのです。肝腎な中京辺りは今月いっぱいたたなければ、すっかり穫り入れにはならないそうですから、まだ数字が確定しないのです。それが確定してから出すのが正確ですから、そうすることにしました。どうしても春早々ということになると思います。そういうわけで「農業特集号」は延期することにしましたから、そのつもりでいてもらいたいと思います。

 それから二、三日前にアメリカの『シカゴ・トリビューン』という有名な新聞で、アメリカでの大新聞の一つです。日本で言えば『朝日』『毎日』『読売』というような地位ではないかと思います。なにしろ本社の建物が二四階で、社員の数が四〇〇〇人だそうです。これから日刊頁数が六〇頁になるそうです。アメリカだけに大きいです。そこの東洋総支配人とかいう人の妻君だそうですが、女の記者というわけですが、なかなか頭が良いのです。……アメリカでは女でもずいぶんすばらしいのがいますから……。二時間ぐらいいろいろと話をしました。そうとうに記事を出すつもりですから、とにかく「救世教」というものと、「岡田茂吉」ということがアメリカに知れるのはたしかです。私も思いきって言いました。先方もそうとうな尊敬を払っていました。箱根の美術館を見てからこっちに来たのですが。熱海の瑞雲郷も見せてよく説明しましたが、非常に驚いて「アメリカにもこういう構想のものはぜんぜんない。とにかく見るもの聞くもの打たれてしまう。とにかく言葉で現わすことはできない」と非常に驚いていました。それですからそうとう力を入れた記事を出すのではないかと思ってます。結局、私が言ったのは「アメリカは白人文明の代表者だ、それから日本は東洋文明の代表者だ。そうするとアメリカが緯<よこ>で日本は経<たて>だ、それがどうしても結ばなければならない。それでその結ぶ仕事が救世教なのだから、結局あなたが見えられたということは、その最初の一歩ではないか」と言ったところが、先方も「とにかく、東洋、特に日本でこういう企画で仕事をしていること」と、私もいろんなことを言いましたが「そういうことを言うということは珍しい、ほかで聞いたことはない」というわけで、大いに望みを嘱しているようでした。

 これは外国の話ですが、箱根の美術館というものがそうとうに反響を呼んでいるようです。だから熱海の美術館ができた暁は、またずっと社会に与える力は大きいと思います。だんだん研究した結果、美術館はあんまり大き過ぎてもいけないのです。そうかといっていまの箱根のでは窮屈で、少し並べると、あんまり多過ぎるというような批判もあるのです。ですから、つまりこっちの美術館は一品一品を吟味してありますから、見るのに非常に暇がかかって疲れるのです。ですからして、もっと広くしてパラッと飾ったほうがよいのです。それで熱海の今度のは、ちょうど箱根の倍のつもりです。箱根は建物の面積がだいたい一〇〇坪とちょっとですが、熱海のは二〇〇坪です。二階建てにして、三階は特別室を造ろうと思ってます。全部で延べにして約五〇〇坪です。ですからそうとうに品物も飾れるし、もっとずっとユッタリすると思います。いま道路を造ってますが、地勢の関係も美術館だけ見に行けるようになってますから、非常に都合がよいと思います。それで展望台の上に、つまり展望するガラスの家を設計しました。これは会館と同時にできる予定ですが、大いに呼び物になると思います。ちょうど一二間半です。半分の六問いくらが半円形になって、風景を心行くまで鑑賞するというわけです。それでいまはガラスは旧式になって、これはチカチカしますから見にくいのです。そこでいまはプラスチックですが、このほうがずっと良いし、これなら欠ける憂いもないので、今度注文しました。曲線で六尺です。それを接<つ>いでゆくのですが、やはりプラスチックで接ぎますから、あんまり目に障<さわ>るものはないわけです。ただそればかりでは、やはりしっかりしないから、金の細い継ぎを三本か四本ぐらい入れるつもりです。いまは進歩してますから、巾の広いのは、まだ広くできますが、やはり六尺ぐらいがちょうど良いです。下は地面から二尺の高さにして平らにして、赤い絨毯<じゅうたん>を敷きつめようと思ってます。これはいくら広くても日本でできることになってます。勿論多少接ぎはできますが、それは気のつかないようにできます。それから屋根は真っ平らで一尺ぐらいの厚さの屋根です。それで廟<ひさし>は四尺出してお盆を乗せたようなものです。お盆といっても平らのものです。ですから、下から天井まではまわりが全部ガラスですから、景色を見るにはとてもお跳<あつら>え向きです。そういうような計画です。それで赤い丸ということは、やっぱり太陽が半分出かかったというわけです。それで後の石垣はこういう具合(半円形)に造ってありますが、これは月に準<なぞら>えたのです。ですから日月<じつげつ>の形になってます。
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「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p193~195」 昭和28年11月05日