『御垂示録』二十五号 昭和二十八年十月一日(3)

〔 質問者 〕神様が人類を救済するに御入り用な金は、人類のほうで作って神様に奉納して御使用いただくのが真理であり、それを実現するのが真理の具現であると、私は考えます。

【 明主様 】それはそうです。

 

〔 質問者 〕明主様は、入り用の金については「金儲けに余念がない」とおっしゃいました。

【 明主様 】私はそういうことは知りません。

 

〔 質問者 〕咲見町での御参拝のときにおっしゃられました。

【 明主様 】私は知りません。私は実業家ではないので、人類を救うのですから、金儲けというのはおかしいです。まるで営利会社のようです。そうすると救世教株式会社ということになってしまいます。

 

〔 質問者 〕明主様は水上鉱山をやっておられますが、これは金儲けのためと思います。

【 明主様 】そうです。

〔 質問者 〕ですから明主様御自身で金儲けをしておられると思います。

【 明主様 】水上鉱山は金儲けのためです。しかし全般的に金儲けをしているのではありません。全般的に考えると間違います。あなたが漠然と言うからおかしなことになるのです。最初に水上鉱山と言っていればなんでもないのです。

 

〔 質問者 〕申し訳ありません。その金儲けをみずからなされるということは。

【 明主様 】みずからではありません。人に任せてあります。

 

〔 質問者 〕言葉を改めます。人間をお使いになり金儲けをなされているということは、もったいないと考えます。

【 明主様 】そう考えてもよいです。

 

〔 質問者 〕そこで御神業の金が不足するということは。

【 明主様 】不足はしません。必要だけはチャンと神様のほうで用意せられます。

 

〔 質問者 〕現在救世会館につきまして、咲見町のころには、もっと早くできる御予定であると拝聴しましたが、それが現実において遅れてきておりますが、この原因は金の不足と考えます。

【 明主様 】そうばかりではありません。また金の不足ということは、神様のほうで不足させるので、それは延ばすためですからしようがありません。私はもっと早いつもりだったが、神様が延ばされたのだから、それでよいのです。大本教のお筆先に「延びるのも早くなるのも、神様の都合の事じゃ」とあります。神様のほうではすべて時期は決まっているのです。ですから会館ができる時期も決まっているのです。しかしなにしろ神様も邪神と戦いながらやるのですから、その間には早くなったり遅くなったりはします。しかし結局はちょうど間に合うようになっているのです。神様の経綸というのはそういうものです。あなたは人間的の考えでいるから質問したくなるのです。ですから私でも神様に聞きたくなることがあります。なぜ神様はグズグズしているのか、と。人間のほうは早くなったり遅くなったりは始終あるのです。ですから神様のほうと、その時がピタッと合わないのです。というのは、なにしろ邪神との戦いだから虚虚実実で、早くなったり遅くなったりするのです。

 

〔 質問者 〕神様の必要な金は差し上げ、お使いいただくというのが人間のなすべきことと思います。

【 明主様 】そうです。

 

〔 質問者 〕私ども教団に奉職する者は、大いに金儲けを考えて、それを実行するのが真善美であると考えます。

【 明主様 】それは結構です。

 

〔 質問者 〕そうして教団を見ますと、金儲けになる材料がゴロゴロしていると考えます。

【 明主様 】それは教団ばかりではなく、世の中にたくさん転がってます。

 

〔 質問者 〕それで教団に職を奉ずる私は、

【 明主様 】その職を奉ずるという言葉が間違ってます。奉仕というのが本当です。奉職と言うと、官吏や会社員でもそういう言葉を使います。

「『御垂示録』二十五号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p231~234」 昭和28年10月01日