『御垂示録』二十五号 昭和二十八年十月一日(1)

【 明主様 】今日は別段話を考えてきてないから、さっそく質問にかかります。

 

〔 質問者 〕このたびのA中教会A支部長の問題につきまして深くお詫び申し上げます。新聞では「殺してやる」というように書いてありますが、本人は生きていてもさみしいから死ぬのだという気持ちでいたのだそうでございます。

【 明主様 】その人が信者になったのはいつですか。

 

〔 質問者 〕五年ほど前でございます。

【 明主様 】とすると、おかしいです。なにかわけがあるのでしょう。あり得べきことではありません。

 

〔 質問者 〕子供六人のうち四人を亡くし、その後子供二人と夫婦四人暮らしになりましたところに私が布教に行き、大きなほうの娘が結核でしたがそれが良くなり、それが動機で信仰に入り、今日支部長として御用をさせていただいておりました。ところが結核の娘が亡くなり、次の子供が去年の七月に亡くなり、奥さんが本年三月ごろに喘息で亡くなりまして、自分たちは深い信仰のつもりでいたが……ということからおかしくなってまいりましたようなわけでございます。本人は元、土方をしておりまして、そこの家は博奕打ち場所という様子でありました。御用をさせていただくようになりましてからは、私の会としましては指折りの方で、私も大事にしていたようなわけでございます。性質はむしろ無口のほうですが、元の病気が出たのではないかとも思われます。

【 明主様 】と言うとなんですか。

 

〔 質問者 〕喧嘩をしたり、短気なほうでした。

【 明主様 】信仰に入ってから死んだのは何人ですか。

 

〔 質問者 〕三人でございます。

【 明主様 】信仰に入る前には何人ですか。

 

〔 質問者 〕四人でございます。

【 明主様 】信仰に入ってから信者を作りましたか。

 

〔 質問者 〕支部長になってからはそうとうに作っております。

【 明主様 】支部長になる前にはどうですか。

 

〔 質問者 〕五〇人以上導いたと思います。

【 明主様 】しかしちょっとおかしいです。信仰に入る前ならともかく、信仰に入ってからそういう不幸が重なるということは解せません。あなたが信仰に入ったのはいつですか。

 

〔 質問者 〕昭和一八年でございます。

【 明主様 】だれの所でですか。

 

〔 質問者 〕渋井先生からでございます。

【 明主様 】いまの土地には古くからいるのですか。

 

〔 質問者 〕一八年に疎開しまして、東京のほうと掛け持ちで、二年ばかりおりました。

【 明主様 】今度その人に会ってみます。今日は来てますか。

 

〔 質問者 〕来ておりません。

【 明主様 】毎月一度は来ているのでしょう。

 

〔 質問者 〕来ておりません。

【 明主様 】どういうわけですか。

 

〔 質問者 〕やはりいろいろ都合があることと思いますので。

【 明主様 】都合と言っても、支部長というからには月に一度くらい来ないということはないでしょう。いつごろから来ないのですか。

 

〔 質問者 〕四、五ヵ月ぐらい来ておりません。

【 明主様 】それではしようがありません。信仰がぼやけてしまっているのです。それでは会ってもしようがありません。

 

〔 質問者 〕本人の資格取り消しと支部閉鎖をさせていただきました。

【 明主様 】そういうのはみんな神様の試練に遭って落第してしまうのです。いかなることがあってもガンとして堪え忍ぶほどの人間でなければしようがありません。そういう苦しいときに奇矯な行いをしようというのは、ぜんぜん意志薄弱な証拠です。そうしてみるとふだんから本当ではなかったのです。その人はもう救えません。ほったらかしておいて、他の人を見たほうがよいです。あなたがそれを復活させようと思って気をもむ必要はありません。神様のほうで綱を切った者は、いくら人間がやってもしようがありません。神様のほうは以前よりか厳しくなるから、神様のほうで綱を切った者は、こっちで救ってやろうと思っても無駄です。それよりか、新しい見込みのある人に力を入れたほうがよいです。

 

〔 質問者 〕申し後れましたが、一里ほど離れた所の熱心な人に、支部のお許しをと思っております。

【 明主様 】それは結構です。

「『御垂示録』二十五号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p225~229」 昭和28年10月01日