昭和二十八年九月二十五日 秋期大祭御教え

秋期大祭御教え
九月二十五日

 神様のおやりになることは、すべて型でやっているのです。主<す>の型です。ヽ<チヨン>です。このチョンがだんだん拡がって行くのです。世界に、戦争だとか思想問題とか、いろんな変わり事がありますが、あれはいきなりそういうことが起ってくるのではないのです。地球の中心……世界の中心に最初なにかができるのです。なにかといって……ちょうど、植物なら種です。それが拡がっていくのです。絶えずそういう具合になって、世界というものは変化して行くのです。では、そのポチですが、ポチのまたポチというような、ちょうど太陽で言えば黒点のようなもので、太陽の黒点というのは太陽の種みたいなものですが、あれが一一年目に拡がるので、見えるのです。それがまたこう(狭く)なる。そういった周期的にいっているものです。あれが太陽の中心で、それが太陽全体を、あれだけの火の力を活動させている中心です。そういうような具合で世界にも中心があるのです。で、中心というものは、いままで神様は人間に知らせなかったのです。それが時節が来て、その中心が知れるようになったのです。知れるようになったと言ったところで、いまのところ中心が分かるのは私だけなのですが、いずれは世界中に分かるようになるのです。そうしてその中心は、この箱根の神山になるのです。これが世界の中心になるのです。いままで隠されていたわけです。ちょうど、夜の世界で、闇ですから見えない……まあ見せなかったわけです。そこで神山のあんな高い所ではしようがないから、その麓の強羅が中心になっているわけです。ですから、この中心に神仙郷ができたということは、もう世界中が神仙郷になるような時代が来ます。それが地上天国なのです。そうすると地上天国の模型がだんだん拡がっていくわけです。拡がっていくについては、これをこしらえるにはどうしても……藪やでこぼこで石がそこここに転がって、見る影もない汚らしさだった。それをだんだん石を割ったり、よけいな木や草を切って、そうしてきれいにしてしまったのです。こういう形に世界がなっていくのです。そうすると、世界には雑草もあるし、邪魔な木もあるし、割らなければならない岩もありますから、その大清潔法……大掃除が始まるわけです。で、つまり地上天国の模型が拡がるのと、掃除するのが一緒になっているのです。掃除ができただけずつは、いろいろな家をこしらえたり、庭の形を作ったりしてやっているのです。最後には、美術館なんていうきれいな美しいものができるということになる。ですから神仙郷ができたということは、とにかく地上天国がもうできたのです。霊界ではドンドン拡がりつつあるのです。それがいまに現界に写っていくのです。そこでいわゆる破壊と創造が実現するということになる。だから第三次戦争もあるでしょうし、それから病気が非常にはやって、バタバタ人間が死ぬということも出てくるでしょう。で、それがメシヤ教によって救われるのです。救われるといっても、みんな救われるわけではない。譬えてみれば、この中で残った木は、立派に手入れをして眺めるようになりますが、かえって邪魔な汚い木は伐ってしまいます。そういう……木としての犠牲ですが、そういうことも現われるのです。あるいは伐られる木のほうが多いかもしれない。で、神仙郷のことはそれくらいにしておいて。

 今度京都の嵯峨という所……広沢の池のある……あそこに思った通りの土地が手に入ることになったのです。なにしろ、いつでも金は逼迫しているのですから、そんな大きな土地を買ったというと威勢が良いが、買う約束をしたのです。で、一万八〇〇〇坪です。私の予定は三万坪なのですが、いずれまた付近が手に入るだろうと思ってます。しかし一万八〇〇〇坪でもかなり広いです。神仙郷だけが三〇〇〇坪なのですが、もっと大きく見えるでしょう。ここが一万坪のうちの三分の一で、この上にまだ六、七千坪あるのです。それは、いろんな物をこしらえると広く見えるものです。これは、あっちを見た人は知ってますが、たいへんな良い地所です。嵯峨野の秋とか、なんとかいう……野原になってます。で、広沢の池……大きな池ですが、昨年の春、初めて京都地方に行きまして、嵯蛾のお釈迦さん……釈迦堂といって有名なものですが、あそこは私は約四〇年くらい前に京都に初めて行ったとき、あそこの釈迦堂の天井に栖鳳が龍を画いたばかりのがあって、それをぜひ見ろというので、行ってみたので良く記憶に残っているのです。去年の春に行ったときに、釈迦堂に行った帰りに法然院に行ってみんなに話をしましたが、法然院というのは、法然上人があそこにいて修行されたのです。ですからすばらしく大きな阿弥陀さんがあって、作もずいぶん良いのです。あんな立派な作は他にないかもしれません。で、法然上人は浄土真宗の開祖ですから、っまり南無阿弥陀仏を最初に弘めた人です。で、法然の弟子が親鸞です。親鸞から六代目の蓮如上人に至って全国的に教えを弘めたのです。それがいまの浄土真宗です。本願寺です。そういうわけで法然上人は仏教のほうではたいした仕事をされたわけです。今度の地所というのは、ちょうど釈迦堂と法然院との間くらいになっています。そうすると釈迦、阿弥陀、その真ん中が私のほうは観音ですから、それで三位一体の形になったわけです。真ん中が観音様で、そうして観音様の左側が阿弥陀さん、右が釈迦と、それが本当の順序なのですが、やっぱりそういう具合になるのです。三尊の弥陀<さんぞんのみだ>……そういう形になるのです。ですからお釈迦さんは七の弥勒です。仏教のほうでいうと、釈迦が七の弥勒、阿弥陀が六の弥勒、観音さんは五の弥勒。日<ひ>の弥勒、水の弥勒、土の弥勒となっていて、それで五、六、七になるのです。そういうわけで、箱根はいつも言う通り「五」になって、熱海が「六」になって、今度の京都は「七」になるわけです。ですからそういった、地理的に日本の中にミロクの姿ができたのです。とにかく位置だけは現界的にミロクになったのです。それで去年釈迦堂にお参りして、法然院に行く途中で……私は初めてあそこを通ったのでヒョッと広沢の池を見て、これは良いなと思って、まわりを見ると平らで突き当たりに低い山があるので、非常に気に入ったのです。そうすると、京都にいずれ地上天国を造らなければならないが、この辺が良いなと思っていると、少し経ってから売りものがあるから見てくれというので、今年の春に行ってみると非常に気に入ったのですが、とても高いことを言っているので、駄目だからうっちゃらかしておけ、入り用なら神様がなんとかするだろうと思っていたら、最近こっちで手が出るような値段で売りたいと言うので決まったのです。そんなわけで、最初から決まっているのですが、時期によってそういう具合に具体的になってくるのです。今度なんかも、今年の秋はあっちに行かないつもりでいたら、この間京都の新聞社と東京の博物館のそういった係の人が来て、今度京都で浮世絵展覧会をやる。つまり京都の平安神宮にある美術館が、いままで接収されていたのが今度解除になったので、その記念としてそうとう張りきって浮世絵展覧会を最初にやる。だからぜひ出品してもらいたいと言うので、結局四点だけ出品することになりました。ですから私もぜひ見たいし、だいぶ大仕掛けに網羅したような物が出るようですから、行きたいと思って行くことにしたのです。そうするといまの土地が決まったので、ちょうど神様が、あっちに行くまでにその土地を決めるように、間に合わせるようにやったとしか思えない。つい昨日か一昨日仮登記したのですが、そんなようなわけで神様のやることは、非常に気が利いているのです。実に言うに言われないおもしろいところがあるのです。ですからそれを考えると、人間のやることは実に間抜けだと思います。よくハッと思うことがあります。美術品なんかもそうです。こういうのが欲しいなと思うと、パッと出てきます。最近浮世絵の良い物が非常に入ってくるのですが、これは神様が浮世絵展覧会をやれということです。来年までにここに美術館の別館を造るつもりです。それは五間に八間です。ちょうど美術館の広いほうの部屋くらいの物を造ります。そこには特別展……そういう催し物をやるために必要なので、最初そこで浮世絵展覧会をやろうと思ってます。そんなわけで今度の京都の土地は純日本的の庭園と建物を建てるつもりです。これはずっと先ですが、つまりそういった、神様のほうの意味になっているのです。早い話が、箱根はさっき言った通り全体の中心になるから、ここは西洋風のものと日本風のもの……ここは元ですから……。ところが熱海は今度は純西洋式のものです。だいたい熱海は六ですから、六というのは水ですから、西洋の文化、あるいは……西洋というものは水になる、六になる。ですから熱海はまた徹頭徹尾西洋風です。会館でも展望台でも美術館でも、全部西洋風です。日本風のものはないのです。それから京都は純日本式にやるつもりです。鉄筋コンクリートも使いますが、日本的に使っていくつもりです。で、日本的の庭園建物にしようと思ってます。というのは、いままで京都には日本美術が豊富にいろいろあるようですが、良く見ると日本美術が総合されてないのです。部分的に散らばっているのです。ですから、ここは日本美術として良いという所はないのです。それに時代時代によって変わっていった部分的のもの、局部的のものです。それを、もっと総合した本当の日本美術としての総合された良さ、要するに調和美といいますか、そういうものを造りたいと思っている。いま京都を見たところで、奈良朝時代の仏教美術です。これは京都、奈良に豊富にありますが、仏教美術は参考には見るが、観賞ということはできない。これはよほどその道に深い人でなければ……。大衆は美術的には見ないわけです。後は平安朝の文化ですが、平安朝は要するに貴族文化です。ごく、やんごとなき御方のいろんな風俗です。それから後は足利義満、義政……あの人がこしらえたものですが、代表的なものは金閣寺、銀閣寺です。そういうようなもので、あれはその時代に支那から受けた影響と仏教的のものと、それから平安朝の貴族文化……そういうのが総合されたようなものです。それに足利時代の特殊な文化です。その次は桃山で、これは秀吉の非常に豪華な、あの人の特異な性格……そういうものを良く現わした桃山式文化です。それからもう一つは、逆の侘<わび>……非常に豪壮絢爛たるものに反した茶道を作った。あれも非常に良いです。いまもって茶の侘の芸術としての生命は躍如としているわけです。で、近来アメリカなんかも非常に茶趣味が理解されてきて、いずれは世界的のものになります。といったところで、やはり部分的のものです。それから徳川時代に入って一番華やかなのは元禄、享保です。あの時分には光琳なんていうすばらしい名人があって、それから絢爛たるすばらしいものができましたが、そういうふうに見てくると、最初は仏教美術……奈良朝の仏教美術です。その次は平安朝の貴族文化です。その次は足利時代の東山芸術です。その次が桃山、それから後は徳川期に入ってからの元禄美術です。といったところで、桃山時代までは庭園建築というのにすばらしいものができたというのは、その当時の主権者……将軍や大名とかの階級が作って楽しんだものですから、つまり平民の文化はなかったのです。それがようやく元禄になって、平民文化つまり町人の金持ちが作らせたというようになったのです。それで庭園建築は、ずっと徳川時代の大名まであまり進歩がなかったのです。いまもって庭園と言えば、大名式の、真ん中に大きな池を作って、まわりに石を配したのと、後は茶席なんかを作って、茶庭もそういうものです。それから建築と言えば、木造の大きな太い柱を作って仏教的の形を採り入れて、ソリ屋根の豪華なものを作って、あとは唐紙とか、そういうような絵を画いた、それでずっと続いてきたのです。ところがいまは、日本が世界的になってあらゆるものが革新されたにかかわらず、そういうものは時代感覚に合っていないのです。いま、大名式の庭だとか建築だとかお寺芸術とかを見ても、どうもさっぱり現代の感覚にピッタリ来ないのです。だからどうしても日本的の良さ……日本的の特色のある、そういったような文化を作らなければならない。と、私はそう思っているのです。そういう意味において今度京都にこしらえてみようと思っている。その代わり建築でも庭園でも、いままでの良いものをみんな採り入れて、そうして現代人の感覚にピッタリするような一つの新しい、古いものの良い所をとって新しい感覚によって作る、というようなものを造りたいと思っている。庭園と建築です。美術館も造るつもりですが、美術品は京都はだいたい仏教的です。あれを一々抹香臭いお寺をくぐって坊さんの承諾を得たりする、あんなことでなく、仏教美術の傑作物を一堂に集めて見られるような、そういう組織をこしらえようと思っている。これはなかなか難しいのです。ところが、各開祖……親鸞とか行基菩薩とか、そういうのは霊界で大いにやろうとして手ぐすね引いているのです。だからそういう偉い坊さんたちが働き出しますから、これはあんがいうまくいくと思ってます。ああいった偉い坊さんたちがそれだけの手柄をしなければ、自分たちが救われないのです。つまり仏教は、救った点もあるし、またつまりこれは悪意ではない良いのですが、間違えた点も大いにある。だから大いにそのお詫びのしるしをしなければならない。ですからこれはいまにそういうふうになりますから、おもしろいと思っているのです。その話はこのくらいにして。

 それから近ごろ日蓮宗の派ですが、特に霊友会から出た人が非常に活躍している。立正佼成会なんかもなかなかすばらしい活動をしてます。この間日蓮上人の七〇〇年祭で、江ノ島の竜の口の御難を記念すべく竜口寺というお寺がありますが、あそこに佼成会の信者が三万二〇〇〇人お参りに行ったのですが、たいへんな騒ぎだったのだそうです。こんなことはいままでに初めてだそうですが、まだ他にもいろいろ日蓮宗で活動している団体がたくさんあります。ですから他の仏教は寝惚けてますが、日蓮宗だけはえらい活動の形なのです。これは大いに意味がなければならないが、その意味というのは、法華経は法の華を咲かせる……咲かせるというのは、実を生らせることです。で、法華経二十八品の二五番目が実なのですから、そこで観音を生むために法の華を咲かせるというので、メシヤ教の根本は観音ですから、現界的にいよいよ生むことになります。そこで早く華を咲かせなければならないというので、日蓮宗が活躍しているのです。ですからいずれ華が咲いてしまえば、花弁<はなびら>は落ちてしまいます。はなはだお気の毒だが、そういうふうにお釈迦さんが決めているのです。それから実が生るのです。だいたい日蓮上人が現われたときに、もうそうなり始めているのです。で、私のほうで言っている昼間の世界というのは、日が出るのです。ですからいままでの仏教の開祖の中で、日のやり方をしたのは日蓮上人が初めてですから、それで日蓮と言ったのです。それまではみんな月の系統の仏様です。そこで日蓮上人が、初めて仏教の中の日のやり方です。日は月に含まれているのです。ですから「月」という字は、下を取ると「日」になるのです。そんなような具合で、それが開教……七〇〇年前になるわけです。七〇〇年前に日蓮上人が出たということは、つまり仏界に日が現われて……霊界は何段にもなってますが、一番上のほうに現われて、それで明治からいよいよ日が現われるわけです。先に書いてありますが、徳川は素盞鳴尊の系統だと書いてありますが、素盞鳴尊は月の系統です。ですから明治になったということは、世が明け始めたということです。それから大正、昭和となって、いよいよ現界に日が出るのです。日が出るということは、日が生まれるのです。日が生まれるということは、実がみのるわけです。実が生まれるわけです。だからちゃんと神様のほうのプログラム通りに動きつつあるということは、良く分かるのです。で、「真如実相<しんにょじっそう>」と言いますが、「真如」は月です。「実相」というのは実の相としてありますが、実相というのは、つまり実の世界になるわけです。いままでは仮相世界です。仮の世界です。ですからそういうことが分かると、なんにでもちゃんと出てますから、世界がどうなる、文明がどうなる、ということはだいたい見当がつくわけです。そんなようで……話が長くなると……浄霊があるから、このくらいにしておきます。

「昭和二十八年九月二十五日」 昭和28年09月25日