秋期大祭御教え 昭和二十八年九月二十四日(1)

 今年のお祭りは珍しく雨が多いですが、これほやっぱり光が強くなった関係なのです。これはここばかりではなく、今年になって全国的に雨が多いのです。それは霊界で火素〈かそ〉が多くなった関係なのです。この分で行ったらいまに雨ばかりになってしまうことになるが、そんなことはありません。今年は光が特に強くなり始めたというわけで、つまり火素が多いということは水が動くのです。溶けやすい、流れやすい、つまり活動が強くなったというわけなのです。人間なら心臓が強くなるので肺の活動が旺盛になるという意味なので、これは当然な話ですが、しかし光が強くなったということは、たしかです。

 それから今年は驚くほど米が不作です。なにしろこの数年のうちで一番とれたのが六六〇〇万石です。今年は農林省の発表では五八五〇万石ですから、約七〇〇万石違うわけです。というと大きなものです。それが毎年農地改良だとかなんとか言って、非常に増産になるような方法をとりつつあるにかかわらず、結果のほうは馬鹿馬鹿しいマイナスになっているのです。ちょうど病気を治そうと思って大いに医療や薬をやるほど、だんだん病気が重くなるというのと同じです。農業も、肥料をやらず、なにもしなければもっとずっと豊作にもなるし、また人間は健康にもなるわけです。この間「超愚」という論文を書きましたが、つまり超馬鹿……馬鹿を通り越しているわけです。カラカサ屋の小僧と同じで、骨折って叱られるというわけです。ですから懐手〈ふところで〉していたほうが、よほどましです。それが文化が発達してみんな大いに教養を得て、一般的の知識なども向上したというわけなのですから、いかに見当が違っているかということです。本筋を行ってないのです。それだからわれわれが大いに救う必要があるのです。しかしみんなが超愚でなく利口だったら、あえて救いの必要はないかもしれません。とにかく今年の不作ということの原因は、東北地方の冷害、九州、近畿の水害、あとは病虫害ということになってますが、このうちで一番影響しているのが病虫害です。これはいつも言うとおり肥料が作っているのですから、それを分からせるためにみんな一生懸命になっているのですが、しかし今年のこの不作のために自然農法が注目されて大いに拡がるという、いい結果、いい効果がありますから、われわれのほうから言うと、今年の不作ということは、やはり神様が如才〈じょさい〉なくおやりになったということがよく分かります。そういうわけで信者以外で自然農法の普及会の会員になる人が各地とも非常に増えつつあるようです。ですからもう二、三年もたつと、たいへんな勢いになるだろうと思ってます。医学のほうと違ってこのほうはあんがい早く全般的に知れ渡ると思います。今日は短い時間でいろんなことをお話ししようと思ってますから、ラジオニュース的に簡単にお話しします。

 自然農法のこと。
 米国の布教状況。
 美術館のこと。
 理論神霊学……いま大騒ぎをやっているのは理論物理学です。
 光明台の建設。

 そこで次の米国の布教状況ですが、先月からロサンゼルスに支部ができて活動を始めました。ばかに成績がよいのです。それで樋口さんはいったんハワイに帰って、一一月あたりにまたロサンゼルスに行くつもりです。それで今度はサンフランシスコ、シアトルにどっちも信者が三人ずつできたのです。ですから近々サンフランシスコとシアトルに支部ができるわけです。とにかく来年あたりの米国の発展はすばらしいものだと思ってます。私が一番狙っている、と言うとおかしいが、狙っているのはアメリカですから、アメリカにウンと救世教を弘めると、これは世界的になります。結局においてアメリカ人を信者にしなければならないのです。いままでの日本の文化は、とにかく白人に頭を下げさせたというのは、わずかに古美術品ぐらいなもので、ほかにはありません。勿論宗教的やなにかでもぜんぜんありません。ところが救世教は白人に頭を下げさせるのです。つまり間違いを直し、救うのです。そしてこの間の戦争は武力で頭を下げさせようとしたので失敗したのです。今度は反対の平和で頭を下げさせるのです。これなら先方は大いに喜ぶのですから結構な話です。その意味でやるのです。それで勿論ハワイもドンドン発展してます。つまりハワイが発展すれば米国はそのとおりに写るわけです。ハワイは米国の種みたいなものです。米国の雛形のようなものです。というより、むしろ世界の雛形かもしれません。それはハワイぐらい世界各国の人種が集まっている所はありません。そういうようで、外国の発展はいよいよこれから軌道に乗ってくるわけです。それでアメリカ人が救世教に入れば、日本人の特にインテリ階級の目が覚めますから一番よいです。つまり逆輸入です。救世教が舶来宗教になるのです。これが一番効果があるのです。

 次に美術館はだいぶ世間から認められるようになって、観覧者も非常に増えつつあります。それは去年とは比べものにならないほど増えました。それから外人のほうにもだいぶ知れてきたとみえて、毎日何人か必ず来てます。そこで、今年はもうわずかですが来年の計画は、一番の呼びもの、と言うと興業みたいですが、やっぱり美術館というのは、ごくお上品な興業です。あんまり下劣な興業物が多過ぎますから、少しは上品な興業もなくてはならないのです。向こうは肉体的のストリップなどですが、こっちは絵でストリップを見せるというわけです。それで浮世絵展が非常に効果があったのです。非常に吸引力があります。ですから来年も第二回の浮世絵展をやろうと思ってます。それから来年は桃山展をやろうと思ってます。これは会期中を通じて本館のほうでやります。別館のほうでは近代名品展をやろうと思ってます。それは明治以来のいろいろな良い物です。ところが東京などでやっている近代美術品展というのを見ると油絵が多いのです。ですから近代美術品展というのは嘘です。近代外国美術品展とするならよいです。日本でそういうのなら日本の物を並べるのが本当です。ところがあれでは日本をぜんぜん無視しているのです。しかし実際言えば外国のより日本のほうが上なのです。上のものを無視して下のものをやっているのです。これは時代がそうなっているので、舶来崇拝の結果です。それは間違ってますから、私は日本美術を主にした東洋美術に力を入れているのです。日本の近代名品展は六、七の二カ月やり、八、九、一〇の三カ月は第二回の浮世絵展をやるつもりです。ところで日本の近代美術というのはすばらしいです。これはほとんど門外不出のような物が多いのです。明治以来の名人の傑作を私は心掛けて集めたのですが、美術工芸品などではみんな知らない物が多いのです。例えば蒔絵では白山松哉<しらやましょうさい>、赤塚自得〈あかつかじとく〉、植松包実〈うえまつほうび〉の三人が明治以来の名人です。その他彫金のほうでは加納夏雄〈かのうなつお〉です。彫金にもいろいろありますが、加納夏雄がとにかく頭角を抜いてます。それから陶器では板谷波山〈いたやはざん〉ですが、去年いくらか出しました。彫刻では佐藤玄々〈さとうげんげん〉。次は平櫛田中〈ひらくしでんちゅう〉です。それから堆朱〈ついしゅ〉は楊成〈ようぜい〉。竹細工では飯塚琅Ы斎〈いいづかろうかんさい〉。絵のほうでは抱一〈ほういつ〉、是真〈ぜしん〉、雅邦〈がほう〉、芳崖〈ほうがい〉、栖鳳〈せいほう〉、鉄斎〈てっさい〉、春草<しゅんそう>、大観〈たいかん〉、玉堂〈ぎょくどう〉です。そういう人たちの作品を出します。これはそうとうに評判になるだろうと思います。ふだんちょっと見られない物です。こういう物をほかの美術館などで出した例はありません。博物館などでも出したことはありません。それはなかなか良い物があります。

 それからいま世界の有名な物理学者が五十数人来て会をやってますが、新聞などでもたびたび出てます。この理論物理学というのは湯川博士が世界的に有名をはせたので、それが機会で日本で開会することになったのですが、とにかくそのために日本が科学界の世界的水準というような地位を占めたということは、その湯川博士の功績はたいしたものです。ところで理論物理学者の一番の主力としては物性論です。これはこの間も話をしましたから知っているでしょうが、つまり素粒子論から物性論に進んできたのですが、素粒子というのは物質のもっとも微小なもの、顕微鏡ではまだ本当につかまえられないくらいの小さなものです。それから物性論というのは物の性質と書くのですが、顕微鏡では把握できないが、つまりいろいろな試験によって、あるべきはずだ、なくてはならない、というような仮定的の理論です。その物性論というのについてのいろんな変化などをいろいろと発表してますが、まだ確定はしていません。みんな想像です。ですから開会式のときに湯川博士が「ちょうどいまの物理化学は暗闇の中をみんなであっちに行ったほうがよいとか、こっちに行ったほうがよいとか、各々その人の考えで見当をつけているような状態だ」ということを言ってますが、まったくうまく言ったと思います。そういうわけで、物性論に行くと、その先はもう科学では駄目なのです。いま科学は、つまり科学と宗教のちょうど結び目に来たわけです。それで物性論の先に行けば、どうしても霊界に入ります。ですから私の言う霊ということは、ずっと先のことを言っているのです。それで浄霊で病気が治るということは物性論よりずっと先のことなので、その間にもいろいろあります。それで、これから理論物理学のもっと先に行った、理論神霊学というのを書こうと思ってます。つまり科学者に対する指導的理論なのです。けれども私が有名な科学者ではないので、どうせ新宗教の教祖なんていい加減な迷信鼓吹なんかやっているようなもので、ちょっと毛の生えたようなものとしか見ていませんから、ああいう人たちに認めさせるということは、なかなか不可能です。しかし将来いずれここに来るに決まってますから、彼らの行く先、つまり終点の駅の所在と駅のいろいろな構造を説明しておくというわけです。いずれはそこに行くのだから、そこに行ってからびっくりして、なるほど神はある、科学では駄目だということになるのです。それで宗教といったところで、いままでの宗教はそこまで行ってないのです。いままでの宗教は科学のちょっと先、物性論の一歩先までしか行っていないのです。ですから結局において負けてしまうのです。というのは、宗教のほうでも低いわけです。というのは、宗教のうちの一年生ですからどうしても力が足りないのです。それと、徹底的に分からないために、どうしても科学に負けるのです。いままで科学に負けつつありますが、しかし科学よりは少し上の所がありますから、負けきりにはなりません。従って救うということはできないのです。それで救世教のほうは科学よりずっと先の深いもので力があるから、科学で治らない病気がわけなく治るということは、そこに力の相違があるわけです。そうしてだんだん科学のほうでも行き詰まってきます。これは湯川博士も「理論物理学は行き詰まっている」ということを言ってます。それでは止〈よ〉したらよいだろうが、止すわけにはゆかないのです。なんとなれば、終点の立派なものをまだ見ないから見当がつかない。そこでかじりついているのです。医学もそうです。とにかくそれを見せておけば、いつかは彼らが分かる時が来るのと、それから分かる人が増えますから、そこで刺激を受ける機会もできるというわけで、あとは神様がうまくやりますから、あんがい早く分かるようになるかもしれません。そういうことがアメリカの科学者あたりに知れると、あんがい早いことになるかもしれません。とにかくこの間も言ったとおり、素粒子にしろ物性論にしろ結局微粒子の問題で、細かいものが分かるとか、細かいものをつかまえようとしているのです。ところが細かいものと言っているのは手前のことで、結局は無限なので、科学でつかまえようとしてもつかまえられないのです。そうなると粒子ではなくなり、無限力です。それが分かれば科学も本当に分かったのです。そこでこの無限粒子というものが一番力があるのです。それが、粒子なら粒子を把握していろいろしても、結局原子科学などが最高なものです。いま言っては少し言い過ぎるが、原子爆弾というのは少しも怖いものではありません。これを遁〈のが〉れる方法はなんでもありません。しかしそこまで行くと誇大妄想と間違えるから言いませんが、つまり科学界というのはそういう状態です。そこで、とにかく超宗教の分野に入りかけつつある、ということだけ知っていればよいわけです。まるで学術講演のようになって、神様のお祭りにふさわしからぬ話になりました。

 それから、ついこの間光明台に設計に行ったのですが、だいたい一万人入る殿堂を造ろうと思ってます。いままでは長方形に造りましたが、そうすると多人数は入りません。入れれば入らないことはないが、それではあんまり遠くになって実用になりません。私が話しているのを双眼鏡で見るようなことになって、それではいけません。そこで今度は円形にします。つまり末広形〈すえひろがた〉にすると一方人ぐらいは差し支えなく入ります。そこで半円形でもなく、三分の二くらいが丸くなる扇子形です。この形は末広がりで発展する形です。この末広というのは、たいへんな意味があるのです。よくめでたいときに白い扇子を持つということは、そういう意味なのです。ですから婚礼のときには白扇を持ちます。いろいろに使いますが、末広がりと言って、この形がよいのです。それで三分の二ぐらいに椅子をおきますが、そうすると一万人ぐらいはなんでもなく入ります。それで地形などもすっかり設計ができたので命じました。一番先にケーブルの下を通るトンネルをやりますが、それを言いつけました。そうして取った土を、いま植木畑になっている所に埋めて、平らにするのです。そうしてそこに天理教でやっているような休憩所を幾棟も造って、これは勿論教団の経営ですが、一時凌〈しの〉ぎとしてはそれでよいでしょう。それから一万人入る殿堂のまわりに、二万人の人が立つだけの広さのものを造るつもりです。いまでは大きすぎますが、だんだんにちょうどよくなります。それも熱海ができてからでなければ順序がつかないのです。熱海は、会館と展望台は一緒にでき、その後に美術館ができて、それから光明会館……あるいは光明殿とするかもしれませんが……にかかりますが、だいたいそういうような計画です。これは霊的にはたいへんな意味がありますが、それはだんだんに話をします。それで敷地だけに三年ぐらいかかりますから、建築にかかるのは三年ぐらい先になりましょうが、決まっただけを発表しておきます。

「『御教え集』二十六号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p114」 昭和28年09月24日