教集24 昭和二十八年七月十六日(2)

 この次は「神霊の解剖」というのを書くつもりですが、「神霊の解剖」というのは、すなわち神様を解剖するわけです。これはいままでの宗教やなにかでは、そんなもったいないことをして、神様に対して恐れ多いと、テンデ手をつける者はないのです。だからいままでは神様を非常に恐れていたわけです。神様に対する親しみというものがなかったのです。ですから「恐れ多くも」ということを書きますが、これは本当ではありません。もし恐れるとしたら、自分を恐れるのです。それは人間くらい恐ろしいものはありません。神様は善ですから少しも恐ろしいことはありませんが、人間は悪だから恐ろしいのです。それは人間はなにをするか分かりません。しかし神様はそういうことはないので、なにも悪いことはしません。人間は悪の元だから、大いに恐れるというのは自分を恐れるということです。ですから神様を解剖してもどんなにしても、決して恐れることはありません。決して罰が当たることはありません。罰を当てるということは、自分が自分に罰を当てるということです。そういうこともだんだんに書きます。

「『御教え集』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年07月16日