教集24 昭和二十八年七月六日(3)

 それから土のことですが、さっき藤枝さんから聞いたのですが、中京で花物を作っている所で、非常に成績が良い所は毎年客土をするのだそうです。ところが客土というのは、つまり肥毒のない純粋の土だからよいわけです。しかしそういう面倒くさいことをするということは、やっぱり肥料をやっているから客土の必要があるので、肥料をやらなければその土自体が客土と同じことなので、そういう点が徹底してないので、やっぱり肥料迷信が取りきれないのです。ところが客土をしただけでは本当から言うとまだ足りないのです。その土自体が活動を起すということを知らないのです。このことは私はざっとは書いてありますが、充分に書いてないから、まだ本当に分かるところまでゆかないかもしれませんが、ある作物を作ると、毎年連作をすることによって土自体にその作物を作る力、その作物に適当した力が発生するのです。そこで一つ所に一つ物を作っていればだんだん増えるのです。ところがいままでの農家は、畑の物は連作はいけないと言って始終変えてゆきますが、これはぜんぜんあべこべなのです。連作がいけないというのなら、いったい稲はどうしたものかと言いたいです。稲は連作をやってます。連作がいけないものなら、稲はいけなくなるはずです。それなのに畑は連作はいけないと言っているのです。茄子はいけないと言ってますが、茄子などは連作にすると、とてもよくできます。実際迷信というものは恐ろしいものです。そういうわけで、土が変化して作物に対して適当した養分が生まれてくるのです。ですから客土は悪いことはないが、本当から言うと足りないのです。その理屈が分からないのです。それで百姓が客土をする理由というのは、一つ土で作っていると土の養分を吸ってしまうから客土するというのですが、それは養分が抜けるのではなくて、肥料を入れるから駄目になるというので客土するというわけで、それに気がつかないのです。そういうようで土の能力を発揮させると、稲なども倍くらいはなんでもありません。倍額増産ですが、今度の「特集号」にちょっと書きましたが、効果をあんまり立派に書くと疑うのです。現に私の書いたものを読んで、簡単に大病が治る、すばらしい、とあると、かえって不思議に思って信じないのです。なにかこっちの頭でも変に狂っているように思うのでしょう。だから割引して書いたほうが本気にするくらいなのです。実に始末が悪いです。

「『御教え集』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年07月06日