浮世絵展のほうはときどき陳列替えをしますが、今日から三回目の陳列替えをしましたから、この前までのとはまるっきり違います。そのつもりで見てよいと思います。今度も博物館のと、それから個人でちょっと持っている人のがいくらか混じりましたが、とにかくドンドン集まってくるのは奇蹟なのです。いま浮世絵で集まっているのでは、日本で一番だそうです。それが一年とはたっていないので、去年のいまごろはまるっきりそういう物はなかったのですから、七、八カ月で集まってしまったのです。実に不思議なのです。それについて、最近歌麿の霊が憑って、喜んで言ったことと、その意味を書いたのを読ませます。
(御論文「美術品蒐集の奇蹟」〔およびお蔭話〕朗読)〔「著述篇」補巻三、三三一-三三三頁〕
いま霊界では自分の作った美術品やなにかを競争でここへ持ってこようとしているのです。ところが持ってくる者はみんな欲張りですから、大いに儲けようとするのです。そこで私は高い物は買いませんから、霊は大いに煩悶しているわけです。私のほうは、あせらないでほったらかしておくと、結局だんだん安くして納めざるを得なくなるのです。これはなかなかおもしろいのです。また少し高くしたり、怪しげな物を持ってきたら、きっと知れるのです。だれかが知らしてくれるのです。それがちょうど、私がチャンと知っているかのようにゆくのです。私が気に入っても、高いと思って買おうかどうしようかと迷っているときは、必ずだれかが来て、それは前にいくらいくらで売り物に出ていたと言って、道具屋がウンと儲けようとすることを暴露するのです。ですから私の手にはいるときはチャンと相場なのです。それで私は別に相場を外して安く買おうとは思いませんが、そうかといって相場外れの物は嘘ですから、買わないでいると、そうすると実にうまく気持ちよくゆくのです。ですからいろいろな種類がありますが、浮世絵にしろ外国の美術品にしろ、去年のいまころはまるっきり知らなかったのです。それが、私としても急に分かるわけはないのです。それがそういうようで、私が実によく分かっているかのようになるのです。ですから商売人などが「ホホー、どうしてあんなにお分かりになるのだろう」と思っているようですが、こっちはそうではないので、フッとそういう気になったり、他の人にヒントを与えられて、それを選ってゆくのです。それが長年研究しておそろしく目が利いているかのように見えるのです。そういうところがなかなかおもしろいのです。なにしろみんな高い物が多いし、私のほうでもだんだん厳密になってゆくので、たいていな物は買いません。天下一品という物でなければ買わないようにしているのです。ですからたまにあるとみんな高い物ばかりです。ですから金には実に苦しむのです。これは求めて苦しむのだから、別に悲観的なことはないので、やっぱり嬉しい悲鳴なのです。それで金の使い方やいろいろなことは、私は自分ながらずいぶんうまいつもりなのです。行き詰まらないように、道具屋のほうの払いなども無理のないようにうまくやり、苦しめないような具合にやっているのです。ですから金の繰り合わせ方は、私は大いに自信があります。それもこれも昔大いに金に苦しみ、その修業をしたというためもあります。というのは借金で二十何年間苦しめられたのですから、それが今日非常な学問になっているわけです。やっぱり神様は、金の使い方やいろいろなことを大いに修業させられたのだと思ってます。それについて書いてみました。
(御論文「借金二十年」朗読)〔「著述篇」第一一巻五四五-五四八頁〕
これは金に関したことですが、やはりいっさいがそうなのです。病気治しでも、「ぜひ治したい」とあんまり思うとかえって治りが悪いようなものです。それからあんまり「助かりたい」と思うと、かえって反対の結果になるようなもので、やっぱりいつも言うとおり執着が邪魔するわけです。