それから美術館の話ですが、一年前のあの辺の状態から見ると、あまりに変わったのでみんなびっくりしてます。これもいまの頭の働きと、早いということが大いに原因しているのです。職人の仕事などをいろいろみてますと、やっぱり頭の働きが悪いと、よけいなことをしたり、よけいな物を作ったりするのです。それを私はみんな省いてしまうから早いのです。それでできあがってみるとかえってよいのです。ですから人は驚いてたいへんだろうということが、私にはなんでもないので、ほとんど考えることもいりません。あれだけの別館を造るにも、ここに足を運んだのは二度くらいです。最初指図して、熱海に下りて、それから一度か二度指図しただけです。ちょうど医学で何日も何十日も治らなかったのが、浄霊で一日か二日で治るというのと同じ理屈です。それで品物を集めるにも、道具屋なら道具屋に対しては急所のことを言って、それからいろいろ持ってくる中から簡単に選択をし、値段とかいろんなことも急所だけをチョッチョッと言うだけで、割合に良い物が安くはいるのです。一番早かったのは、去年、第一室に出してあった友松の屏風ですが、墨絵で簡単に楼閣を画いてあるあれを買ったときは、京都の博物館に屏風が六本あるから見てもらいたいと言うので、よろしいと約束したが、他にまわる関係で、どうしても博物館でそれを見る時間は五分しかないので、五分でやってみようと思ったのです。その六本も拡げてあったらよいが、たたんであったのです。それで拡げて見て友松のはいくらかと言うと七〇万と言うから、少し高いから五〇万に負けたら買うからということで買ったのです。それでちょうど五分ですんだのです。だから六本の屏風を五分で選択したのです。そのくらい早いのですから、美術館もああいうようにできたのです。この間も『報知新聞』で谷川徹三さんかが、ふつうならこれだけの美術館はまず一代かかってやっとできるくらいなのが、わずか数年でできるということは、実に不思議だということを言ってましたが、ふつうからみればたしかにそうです。それもやっばり早いからです。
こういう論文を書くにも急所急所を書くのです。だから早く書けて簡単にすんでしまうのです。そのやり方を一生懸命に学ぶようにしなければなりません。原稿を書くにもよけいなことを書かないで、つまり正味だけを書くというようにしてもらいたいと思います。
というのは、お蔭話がだんだん増えてくるので、『栄光』に出す場合に、お蔭話以外のふつうの記事をよほど少なくしなければ追いつかないのです。それとともに、お蔭話も割合よく書いてあります。農村の人などでもなかなか書き方がうまいのです。しかしいっそう簡潔にしてもらったほうが、それだけよけいに出せます。それに書きようで、なるべく無駄のないようにすれば、もっと簡単になります。そうすればまだまだ、寄書でもお蔭話でも掲載することができるわけです。そういう具合にしてもらいたいと思います。