教集21 昭和二十八年四月六日(1)

四月六日

 明後日京都に行こうと思いますが、名古屋でも例のとおりに話をします。明後日は四月八日ですからお釈迦さんの誕生日です。私はそういうことにはかまわずに、七日で面会が終わりますし、いつも桜を見損なうので今年はぜび桜を見たいと思って八日に決めたところが、お釈迦さんの誕生日になるので、ヒョッと気がつくと、前にも言ったとおり、あそこはどこまでも「地」に相当するのです。箱根は「火」ですからして「観音様」になり、熱海は「水」ですからして「月」で「阿弥陀さん」になります。それで京都は「七」で「地」で「お釈迦さん」になるわけです。お釈迦さんは地の弥勒ですから、やはり京都は地になるので、お釈迦さんに縁が深いのです。それで仏教は花にたとえると桜の花ですから、嵯峨<さが>の辺りは桜が多いわけです。それでお釈迦さんの誕生日の四月八日に行くというわけは、今度私があそこでお釈迦さんの働きをするわけです。それで釈迦の働きというのは仏ですから、あそこで仏に関係した仕事をするわけです。仏に関係した仕事というと、いまは仏滅ですから仏が滅する経綸です。それはこれから分かりますが、そういうことになります。それで今度嵯峨には、割合に早いと思いますが仏教美術館を造ります。設計はだいたい頭の中にできてます。そうして京都中の物と、無論奈良の物もはいりますが、仏教に関係した仏像、仏画などを集めて、それを陳列するつもりです。そこで、仏像にはみんな霊が憑ってますから、それがこっちのほうに来て、そうして全部救うわけです。そこで東洋に関係した仏様……元は神様ですが……その仏様たちを救うので、その仏様たちは救世教のために大いに働くわけです。つまり私の部下になって働くわけです。根本はそういう経綸です。ですから嵯峨の釈迦といって、あそこに釈迦堂があって、有名なものですが、あそこはお釈迦さんの元になるわけです。だいたいその仕事で行くのです。それについては、だいたい敷地を造るとかいろいろして、やはり地上天国的のものにしなければならないのです。それで考えてみると、初めて京都に行くようになったのは一昨々年ですが、土地が見つかって、それが手にはいって、そうしていまの経綸にはいるということは、まだ二年目ですから実に早いです。これは人間業ではありません。ああいう景色といい、あらゆる条件の揃ったような所、それから広さにおいても、これから見つけるといっても、とうてい人間業では見つかりません。それからまた売り手があるか、あっても値段が馬鹿高くてもしようがないのですが、それが割合に値段も安くスラスラと手にはいったので、実に神様のやられることは、ちゃんと前から準備してあったように簡単に行くのです。それがわずかの間にそういうようになったということは、すばらしいものです。そうして最初に、平らな所で大きな池のある所という条件をつけたところが、ピッタリとその条件に合っているのです。それであそこの働きというものは土の働きですから、土というと現界の働きですから、そこでいままでは霊界の発展というような目に見えない進展ですが、今度は物質的ですから、具体的に、だんだん京都の建設が進むに従って救世教の発展ということが目に見えてきます。そういう具合になりますから、そのつもりで見ていると、ちゃんとそういうようになります。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十一号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p137~139」 昭和28年04月05日