教集21 昭和二十八年四月十六日(4)

四月一七日

 私がこの間京都に行きましたときのその主な目的は、仏滅、つまりいよいよ仏教が滅するという時期になって、その救いです。どういう方法で救うかというと、まず物質的に言えば、京都、奈良にたくさんお寺がありますが、そのお寺が経済的にだんだんやって行けなくなったのです。特に墓のある寺は良いですが、ところが京都辺のお寺というものは、墓のあるお寺もありますが、だいたい一番大きいとか有名な寺というのは、各宗の本山とか、あるいは勅願寺<ちょくがんじ>です。昔は幕府から扶持<ふち>をもらっていたのですが、ちょっとした寺は一〇万石ぐらいもらっていたのです。それがぜんぜんなくなってしまったのです。それから勅願寺のほうは天皇御一族の病<やまい>のときに祈願するのですが、そういうのを扱っていたので、やはりそうとうな手当をもらっていたのです。それで幕府の扶持のほうは維新によって駄目になったのです。けれども昔からのしきたりがあるから、いくぶんは助けていたわけです。ところが終戦後、各旧大名などは財産税ですっかりやられていますから、人を助けるどころではなく、御自分のほうが売り食いをするようになったのですから、お寺のほうにはぜんぜん来ないのです。それから皇室もああいうようになったので、皇室に関係のあるような寺も駄目だということになり、また本山やなにかも、末寺が全国的に何千とありますから、以前はそこからちゃんと寺の上中下によって寄付金のようなものが来ていたのです。ところがその末寺が焼けた所がたくさんあります。それで大震災のときは焼けてもすぐに復興ができますが、戦災についての復興は、おそらく半分も復活してないでしょう。それで本山のほうへの寄進というのはぜんぜんないから、終戦後、京都、奈良辺りの寺は俄然として経済難に陥ったのです。そこでしかたがないから宝物を売るのです。それは内緒でだいぶ売りつつありました。ところが良い結構な物を持っている寺は、やはりそれだけ財政が苦しくなるにも遅かったのです。それが最近に至ってそういう寺までがなかなか苦しくなったのです。それからもう一つは田地田畑<でんちでんぱた>山林を持っていました。山林は見逃されていたのですが、田地のほうは農地問題でほとんど買い上げられてしまったのです。ですからこれがたいへんな打撃だったのです。それは寺によっては大地主だったのですから。そこでなにもかも、どうにもならなくなったのです。そうするとしかたがないから宝物を売らなければならないというので、隠れてそうとうに処分されてきたのです。それでわれわれのほうにもそういう物が若干来てます。そういう話はたくさんあります。本尊様を売って寺はどうなるのだと言うと、なにか代わりを、と言ってます。おもしろいのは、このごろときどきそういうのがあるのです。それでは檀家が承知しませんから、その承諾書がついているのです。なぜついているかというと、それを駄目だというと、檀家がその維持費を出さなければならなくなります。しかし檀家は援助できないから、そこで檀家総代の承諾書があるのです。そうでなければ問題が起るからです。そういうようでお寺も経済の窮迫につれて、だんだん手放してしまうだろうと思います。ではその先はどうだというと、いまさらどうにもならないのです。それで私はそれも助けてやりたいと思ってます。なにしろいろいろな坊さんにしろ、とにかく悪いことをした人ではないので、仏の慈悲を取り次いだ人たちですから、これは助けてやらなければなりません。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十一号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p175~176」 昭和28年04月17日