▽前節から続く▽
それから京都はつまりお寺の都会です。だから京都という都市自体が非常に疲弊してます。今度私はほうぼうまわるときに注意してみると、京都は壁の多い所ですが、実に壁の落ちている所が多いのです。それはずいぶん酷いです。商家が並んでいる町の中はそうでもないが、商家がない所に行くと、五軒に一軒か一〇軒に一軒は必ずあります。中には板まで破れている所があるが、実に酷いです。これはお寺が疲弊しているために影響したのだろうと思います。だから京都という所は良い所ですが、さて多くの人を集中するという観光地としての形が備わっていないわけです。そこで私は嵯峨を中心にしたあの辺を一大観光地でもあり、地上天国的のものを造ろうと思って考えてます。それには非常に大きくなければならないから、いまの所は二万坪くらいですから、そういうものを造るにはとうてい狭いのです。どうしても一〇万坪はなければならないのです。ですから私は最初に、土地を見つけるについて、五万坪から一〇万坪の所が良いと言ったが、そんな広い所はなかなか一度にはないし、金もたいへんですから、とりあえずいまの所にしたのです。二万坪というとずいぶん広いですが、本当の世界的の観光地としたら、少なくとも一〇万坪はなければならないのです。そうなったら、日本に行ったらぜひ京都に行かなければならないということになって、非常なものだと思います。そうなると京都という都会もそうとうな所になり、壁の落ちた所はないようになります。神様が良いようにやりますから、べつに気をもむことはないが、人間のほうから考えてもそうしなければならないし、神様のほうから見ても無論そのつもりに違いないです。
▽次節に続く▽
「『御教え集』二十一号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p163~164」 昭和28年04月15日