教集21 昭和二十八年四月五日(3)

▽前節から続く▽

 それから今度の『結核信仰療法』はだいぶ売れるようです。これが将来なかなか問題になるだろうと思ってますが、そのことをちょっと書いてみました。

(御論文「結核信仰療法に就いて」朗読)〔「著述篇」第一一巻四七二―四七四頁〕

 四月八日はお釈迦様の誕生日ですが、この日に私は京都に行くことになってます。べつにそういう意味でなくて、去年も一昨年も桜の花時分を見なかったので、今年は桜の咲く時分にと思ったのです。それに嵯峨<さが>の近所には桜が多いそうです。昔から「嵯峨野の花見」ということを言われているくらいですから。それに間に合うようにと思って、七日まで面会ですから、次の日に行くとすると八日になりますが、よく考えてみるとお釈迦さんの誕生日になるので、これは大いに意味がなくてはならないと思ったのですが、やっぱり大いに意味があるのです。それは、いよいよ仏滅が近寄ってきたので、とにかくお釈迦さんの仕事をするわけです。それからいろいろなことがだんだん分かってきましたが、これはいまはっきり言うことはできません。あっちに行って仕事を見れば分かりますが、仏滅に対して神様はいかに巧妙なやり方をされるかということが分かります。それで嵯峨という言葉は、言霊上<ことたまじょう>「シャカ」ということになるのです。「シャカ」ということは 「逆<さか>さ」ということです。ですからいままでは逆さの世の中というわけです。それが今度本当に直るわけです。そこで逆さということは体主霊従<たいしゅれいじゅう>だったのです。日より月のほうが地位が上だったのです。太陽が隠れていたのです。それは夜の世界ですが、だんだん月が沈んで太陽が上に昇るというので逆さが直るわけです。ですからお釈迦様の教える時代は逆さであったのです。それで「サガ」という言霊は、昔から「嵯峨の釈迦」と言っているくらいですから、日本における仏教の元というわけです。ですからあそこには昔から釈迦堂があるのです。それでちょうど今度の嵯峨の所は、釈迦堂のすぐ手前ですから、私が嵯峨に行ってお釈迦様の働きをするわけです。そこでお釈迦様はいずれ将来仏滅の世が来るということを言われたとおり、いよいよ仏滅の世が来たのです。そこでお釈迦様は霊ですから、そういう仕事はできないから、やはり私がそういう仕事をやるというわけで、四月八日に行くようになったのです。それでは経綸はどういうようになるかというと、それはいずれあっちに美術館を造りますが、あるいは美術館が一番先になるかもわかりませんが、設計はだいたい頭にできてます。来年あたりから始めるでしょうが、これは割合に簡単にできます。それから仏滅の経綸と言いますが、仏を滅ぼすのではなくて仏を救うのです。仏界を救うのです。つまり京都という所は、そういった意味でお寺がたくさんあるのです。ですから奈良、京都と、これが日本における仏教の源地です。根本霊場と言いますか。そういうわけでそういう経綸があるのです。それでこれからあっちがだんだん始まって行きますからおもしろいのです。それに経綸はだいぶ早くなりつつありますから、割合に早くなります。そうしてこれは割合に楽で、おもしろく行くわけです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十一号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p136~137」 昭和28年04月05日