教集20 昭和二十八年三月二十七日(1)

三月二七日

 春の大祭は今日でおしまいになりますが、だいたい去年より三割くらい増えてます。これでまだ制限しているのだそうですから、ふつうならもっとずっと多いわけです。この分で行けば来年はもっとずっと増えますから、そこであのメシヤ会館がちょうど良いというわけになるので、神様のやられることですから、すべて調子良くうまく行くわけです。やり損ないや予想に違うということはないわけです。それで考えてみますと、とにかく本当に宗教法人として大手をふって宗教をやれるようになったのは二二年八月ですから、この八月で満六年になるわけです。いまは五年数ヵ月、約五年半です。それで最初の二二年八月当時は、信者というのはせいぜい四、五百人ではなかったでしょうか。面会のときなど、一〇〇人から二〇〇人を越すとずいぶん来たと言ってましたが、それからわずかの間に、とにかく新宗教のうちでは断然王者たるようになったのです。これはひとりよがりでなく、世間がそういうように見るようになったのです。なにしろ発展性の早いことは驚くべきものだと思います。しかしその間には、税問題とか一昨々年の問題と、いろいろな目にあいながら、それに屈せず、とにかく発展しつつあるということは驚異です。ですからああいうようなことがなかったら、いまごろはどんなに大きくなっているか分かりません。あれでずいぶん妨げにはなりましたが、しかしその代わり締まったというか、根強くなったということは、かえって将来には良いわけです。ただ棒の先の狸のアメみたいに、ふくれるばかりが良いのではないので、やはりしっかりと固まらなければならないのです。それは神様が良い具合にやられているのですから結構ですが、話をしてみればそういうようです。ですからすべてこれは、なにごとでもそうですが、拡がるということは、大きくなればなるほど非常に速度が早くなり、大きくなるのです。たとえてみれば一〇〇人が倍になると二〇〇人で、一〇〇人増えただけですが、一〇〇〇人が倍になると一〇〇〇人増えたことになりますから、数字から言うとたいへんな違いになります。しかも昨年までは裁判問題がひっかかっていて、これは一つの黒雲みたいなものですから、雲がのかない限り太陽の光が鈍るようなもので、そういう雲がなくなれば光を思いきって照らしますから、発展の力が強いのです。ですからこれからは目覚ましい発展期になると思います。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p125~126」 昭和28年03月27日