▽前節から続く▽
政治も、いまの政治界の有様を見ると、しようがないのです。悪く言えばみんなお神楽<かぐら>でも踊っているようなもので、みんな馬鹿踊りを踊っているのです。事実、吉田さんは「馬鹿野郎」と言ったのだから、馬鹿踊りに違いありません。ところが「馬鹿野郎、良く考えりゃオレのこと」で、吉田さん自身がやっぱり、「オレのこと」だったのです。今度の総選挙にしろ、不信任案が因<もと>ですが、不信任案の可決というものは、馬鹿野郎問題によって起ったのです。あれまではそうなかったが、あれからがうんと騒がしくなったのです。そうすると、それも前の総選挙から半年たつか、たたないうちにやるのですから、国民の迷惑から国家経済から言っても、その費用も何百億というのですからたいへんなものです。少なくとも三〇〇億はいるだろうと言われてます。その三〇〇億というものは、みんな国民の税金です。その税金は楽に出せるものではないのです。その負担もたいへんなものです。だからどっちが良いかは分からないです。そういうようですから政治も改革しなければならないのです。この間、衆議院議員が三人、参議院議員が一人と、幹部の人がいましたが、そのとき言ったことですが、信者で代議士が三〇人以上できれば、私は政党を作ると言ったのです。三〇人以上なら交渉団体になりますから、発言権があります。その代わりこっちの方針は本当の公明選挙です。看板だけではなく、やることも公明選挙です。爪の垢<あか>ほども不正はやりません。本当にやるのです。そしていまのようなだらしのないことはしません。それでちゃんとこっちの政党の方針なり、候補者の意見なりを詳しく印刷した物を選挙人に配ります。それでもし場合によれば、大新聞でなくも中新聞をこっちの機関紙とするのです。昔は機関新聞というものがありましたが、いまの政党ではぜんぜんないのです。それはいろんな事情があって経営できなかったりするのですが、本当は新聞に出さなければいけないのです。それでいま新聞を機関紙としてやれないのは、本当のことをやってないから、思いきって新聞に書けないのです。人のアラを探してやったところで、御自分のほうも同じなのだから、堂々と意見を書くことができないのです。それでどうしても新聞で政治教育もしなければならないのです。日本で一番困るのは個人個人になっていることです。人物本位で投票しろというが、これが一番いけないのです。第一、人物本位にしろと言っても、どの人が一番偉い人かということは分かりません。道路で自動車の中から「岡田茂吉、岡田茂吉」というように言うが、そういうように数多く広告する人が偉いかというと、むしろそういうことをするのは偉くないでしょう。そうするとだれが立派な人物かということは分かりません。また分かるはずがありません。そこでアメリカのように政党第一主義で、政党に投票するとなると、「わが党はこういう政見である」ということを言いますから、そこでその党のだれに投票しても良いのです。日本のように人物本位というと、国民に対する罪です。そうかといって、政見発表といっても、この忙しいのに聞きに行くのはたいへんです。それなら政見発表を文章に書いて出せば良いのです。私は前にこのことを書いたことがあります。ですからだれがどんな意見を持っているか、だれが偉いかということは見当もつかないのです。そこで名前をたくさん呼ぶというやり方になるのです。またそういうのが効果があるのです。名前をたくさん言った人は票数がたくさんはいって、たいてい当選するのです。しかしこんな馬鹿馬鹿しいことはありません。そういうことも、大いに政治の革命をしなければならないところです。だからいくら宗教が良いことを言って、国家社会に良いことをしようとしても、権力は政府にあるのだから……。このごろは民主的になったためにだいぶ良くはなったが、それでも宗教は政治に干与すべからずという不文律があるのです。前に注意されたことがあります。政治的のことを『光』新聞のころに書いたことがありますが、「にらまれますから、これはやらないほうが良いです」というのです。それで私は寸鉄に書いたのです。論文ではいけないが寸鉄なら一種のユーモラスでごまかせますから……。そういうようで政治というものは世の中を良くし人類を救うには肝腎なのです。しかしこれはローマ時代からずっと宗教のほうが権威を持っていたために、たいへんな弊害があったので、それに懲りて政教分離という政策をとったのですが、日本などにはそういうことをする必要はありません。それはローマ法王というような人がいばった時代には、コペルニクスやガリレオの地動説は、宗教のためにやられてしまったのです。そしてその時分には宗教裁判といって、裁判も宗教のほうでやったのです。そこで憲法政治になってから、宗教はくちばしを入れられないようになったのです。しかし今日はそういう心配はないのだから、そうとうに宗教家に口を出させるのが良いのです。また宗教家は間違った変なことをしたり、変なことを言ったりすることはありません。ところでいま宗教家に干与させないのは、宗教家は正しいことをやるのに、自分のほうは正しくないことをするからという意味ではないかと思います。政界演説のようになりましたが、信仰するうえにおいて、そういうことも知っておかなければなりません。いまにだんだん信者が増えるうちに、代議士や参議院議員の希望者が増えるようになりますから、そうなったらその人に投票すれば結構です。早くそうなれば良いと思います。
▽次節に続く▽