▽前節から続く▽
昨日もざっと話をしましたが、教育のことを簡単にお話すれば、救世教でいずれ学校を作るつもりです。ただその学校のやり方が、世の中でやっているのと違うのです。根本は年齢ですが、一二から教育させるのです。それで小学校が三年、中学が三年、大学が三年で、九年で卒業です。それで一二になってから教育をすると、非常に頭が良いのです。少なくとも、いままでの子供の倍くらいは大丈夫です。九年で充分覚えられます。というのは、いまは早期教育といって、小さい子供からだんだん教育するのが良いとしてやってますが、そのために近ごろの子供は、まるで大人のようなことを言ってます。昔の小学校の子供が青年になったときのようなことを言ってます。社会科とかいって、社会のこともなかなか良く知っているようです。われわれはラジオとか新聞で見ますが、小さい子供の言うことが、親父よりもっとませたことを言うのです。それはちょうどこういうわけです。子供を早く大人のようにする、大人のレベルにするほど良いと思っているのです。だからまず、いまは子供の大人を作るような教育です。そうするとこれが頭だから良いようなものの、これを肉体とするとどうかというと、一〇か一一から重労働をさせるようなもので、そうすると体の発育が止まってしまうのです。ですから小さくして大人のようになってしまうのです。これが一番よく分かるのは柔道です。私もやったことがありますが、一五歳以下はやってはいけないと言われているのです。ですから柔道の先生は、横は広いが背は割に低いのでも分かります。そういうようで、頭を酷使することになるから発育が止まるのです。いまの人間は非常に頭が悪いのです。学校の試験勉強とか、いろんなことで非常に苦しむのです。頭が良ければあんなに苦しまなくて良いのです。それは早く頭を使い始めるので、頭の働きが悪くなるからです。そこで学校の成績も悪くて苦しむのです。それよりか、一二くらいまではぼやっとして遊ばせておいて、それからやると非常に頭が良くなるのです。それで頭が良いと短期間でどんどんすみます。そういうことに気がつかないで目先だけなのです。ちょうど薬やなにかで病気をなおそうとするのと同じです。どうもいまの文化というものは一時的で、手っ取り早くやるというやり方です。教育までがそうです。ですからいまの人の頭の働きというものは「上面<うわつら>利巧の芯<しん>馬鹿」ということになります。昔の文化の進まないときは上面はぼんやりして馬鹿ですが、しかし奥深い利巧さがあります。だから美術品などを見ると、古い物のほうがずっと良いです。いまの美術品は悪いというのは、そういうところにもあります。昔の人は深さがあるのです。
▽次節に続く▽