▽前節から続く▽
いま編集している『救世教奇蹟集』ですが、この前書いた「序文」はどうもおもしろくないので、書き直したので、それを読ませます。
(御論文「救世教奇蹟集序文」朗読)〔「著述篇」第一一巻四五六-四五九頁〕
それから浄霊の場合にあらかじめその順序を知っておいたほうがいいのです。気がついたことは、二、三日前に女中を浄霊してしまってから、ああそうだ、と思って、それから奥さんを呼んだのです。そのときにこれはちょっと順序が違ったな、女中のほうを先にやるということは間違っているなと思ったが、時間も夕方だから良いだろうと思ってやったのですが、浄霊中に奥さんが変なことを言うのです。ふつう言うことでなく、私に対する非常な侮辱のようなことを言うので、注意しましたが、ちょっと考えてみたら順序が違っているためということが分かったのです。だからうっかり順序を外すと、やはりなにかあるのです。それであらかじめ知っておくべき順序は、つまり理屈に合えば良いのです。例えば患者が浄霊に来ますが、そのときに一番先にやるのは、一番重い病気の人、つまり苦痛の大きな人を一番先にやれば良いのです。それからさのみ苦痛のない人が幾人もいる場合には年齢順にやればよいです。そうすれば理屈に合ってます。しかし年齢順だからといっても赤ん坊はまた別です。ギャーギャー泣いて、いろんなことをするとほかに障<さわ>りますから、うるさくないように早くすますということは理屈に合ってます。そういうことがなにもないときには、まず年齢順からやるというのが理屈に合っているわけです。それから常識的に考えると、非常に身分のある人やなんかで、非常に用事が多い人などは先にやる、ということもまた理屈が立ちます。それから来た順も必要です。どっちにしてよいか分からない場合には来た順です。それから来た順でも、苦痛のある人とか重い病気のときは、待っている人に一応断るのです。「この人は重いから先にやりますから」ということを一言断ればよいです。順序から言うと、第一は病気の重いのからやり、その次が来た順、その次が年齢順で、後は常識的に考えればよいのです。そういう順序を乱さなければなおりも良いのです。よく効くわけです。なぜ、いま話した女中と奥さんとの順序が違うとなにかあるのかということは、女中を先にやって奥さんを後にすると、女中のほうが上になるのです。そのときの奥さんの言葉がやはりそういうようなことで、劣等と言いますか、そういうような意味のことを二度か三度言ったのですが、やはり一時的に女中より下というような地位になるわけです。それは霊界がそういうようになっているのです。こういうことを知って見ると、よくそういうことがあります。おかしいなと思うことは、なにか順序が狂うという理由があるのです。それで、こういうことはたいへん面倒臭いことのようですが、これが分かると面倒臭いどころでなくて自然に気がつくのです。無意識に順序を正しくするようになります。そうならなければならないのです。
それからちょっとおもしろい論文を書きましたから読ませます。
(御論文「野蛮なる文明」朗読)〔「著述篇」第一一巻四四三-四四七頁〕
▽次節に続く▽