三月一七日
今度吉田内閣がああいうことになって、ちょっと思い出したことは、『笑の泉』にありますが、古い笑冠句で「馬鹿野郎、良く考えりゃオレのこと」というのがありますが、今度の吉田さんによく合っているのです。なんといっても「馬鹿野郎」問題が直接の動機となって不信任問題から解散となったのですから、「馬鹿野郎」という言葉はたいへんな役目をしたのです。ところが後がまずいのです。少なくとも、神聖なる議会において、総理大臣が「馬鹿野郎」と言うのは、どうした魔がさしたのか知らないが、総理大臣がそういうことを言うのは珍しいことです。それで相手が議員ですから、議員は国民が投票して出した代表ですから、それに馬鹿野郎と言うことは、国民を罵<ののし>ったということにもなりますから、国民感情としては我慢はできないわけです。昨日、毎月ああいう人たちの会をするのですが、現代議士が三人ばかり来て、それについて話をしたのですが、ああいう人たちは、さのみ思っていないのですが、あのくらいのことはたいした問題にするに足りないというような意見でしたが。しかしあの人たちは、議場はべつにたいして神聖とは思ってないらしいです。なにしろ取っ組み合いの喧嘩をするのですから、馬鹿野郎くらいなんでもないと思っているのです。しかし国民感情から言って、国民はどうしても我慢ができないのです。その結果、内紛問題が起り、ああいう結果になったということはまずかったのです。それも後で「自分はうっかり間違ったことを言ってたしかに申し訳ない」と言って謝れば良かったのですが、ただ取り消しだけですから、それがおもしろくないのです。吉田さんという人は政治家としては立派な人です。いまでも一番偉いでしょう。けれども言い出したことはどこまでも通そうというのが毀<きず>です。そのためにいろんな問題を起しているのです。去年の福永問題にしろ今度の広川問題にしろ、言い出したことはどこまでも通そうとするのです。そこに非常に損なところがあるのです。だから例えば「馬鹿野郎」と言ったところで、たしかに悪いのですから、悪いことについては謝るというのが本当です。しかしそういうことがなくて単に取り消しというだけでは、「べつにそう悪いことを言った覚えはない」という意味が良く現われてますから、それではやっぱり駄目です。ですから問題は大きくなったのです。ところがそれがために民同派の分党ということになりました。それから広川和尚の変なやじり方も、実にどうもお話になりません。あの日に急に謝って復党しようとした。ところが、民同派のほうではああいうことを知らなかったらしいのです。いかにもだらしがないです。ところが党のほうでは、承知できないと言って除名になってしまったということは、そのいきさつは実にまずいです。これも昨日代議士たちと話したのですが、とにかくいまの政治家はみんな、昔の政治家と違って実におもしろ味がないのです。それはどういうわけかと言うと、みんな大学を出て役人になって、とんとん拍子に大臣になり、また国会議員になるというわけで、本当の民間の苦労をしてないのです。ですからそれに比べると、昔の政治家は苦労をしてますから、どこかに味があるのです。それで民間の苦労をしているのは、広川などは苦労してます。しかしこれはいかにもレベルが低いのです。なにしろ鉄道の工夫から酒屋の親父をして、それからだんだん来たので、それが残っているので野卑な点があり、それでは困るのです。そういうようでいまの政治家で、例えば今度の総選挙の結果、吉田さんが駄目になって、第二党、第三党とかになって、そうすると吉田さんが首相になるわけにはいかないが、さてほかにと言ってもいないのです。重光さんが、順序でしょうが、この人は大公使の経歴を経てきただけで、政治的の苦労はありません。だから結局お坊ちゃんです。結局吉田さんもお坊ちゃんです。ですからわがまま坊ちゃんの気があるので、自分の言い出したことを通そうという点があるのです。それからもう一つは、多数党だからオレのほうで思ったことはなんでも通る、頭数で押して行けばなんでも通るという考えがあるのです。ところが最初のうちはそれでも良かったが、だんだん減っていったので、今度はそういうわけにはいかないのです。そういう欠点も大いに災いしていたのです。だからして野党がどんなことを言つてもぜんぜん取り上げないのです。野党に了解をさせようという努力が足りなかったのです。そういうようで、ただ頭数を頼りにしていたので、そこにつけこんで民同派の鳩山を立てようという連中がきわどいところでやったのですが、なかなかずるいようです。こういう話をしているとニュース解説のようになりますから、このくらいにしておきます。
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