八月十六日
宗教法人になってから、今月でちょうど満五年目になるのです。最初は二二年の八月でした。それまでは「浄化療法」というので、信者というわけでなく弟子ですが、それが数百人くらいです。充分とみて五〇〇人と思って良いでしょう。それが五年でとにかく協力会員が一〇万。それから教修を受けた者は四、五十万くらいあるようですが、準信者としては四〇万くらいあるだろうと思います。ですからその急速な発展は、いつも言う通り例がないのです。で、新宗教の中で割合に急速に発展したのは立正佼成会です。あれは割に早く発展したが、それはなにかというと、日蓮宗の分派なのですからして、日蓮上人が法華経によって六〇〇年も前から宣伝しているのですから、それだけの歴史があってみれば新しい宗教とは言えないのです。日蓮宗の一派としての霊友会からまた別れたのですから、霊友会の信者が大部分らしいのです。ですからぜんぜん新しく出発したわけではないのです。ところがメシヤ教のほうは本当の新しいものです。つまり無から有を生じたようなものですから、その点においてたいへんな異いです。ですからこの分でだんだん行きますと、この次の五年くらいにはどんなに発展しているか見当がつかないと思うのです。で、その時分には無論外国にも発展するでしょうが、最近アメリカに行っている信者で、大学に行っている人がありますが、帰ってきて、この間あっちの事情を聞いてみたが、いろいろ統計的に調べてそれを書いて持ってきましたが、みんな英語で書いてあるので、今度日本語で書くようにそう言っておきました。いずれ書いてくれば、それにいろいろ解説をつけて『栄光』にも出します。それからアメリカもたいへんな病人なのです。私は日本が一番多いかと思ったら、あるいはアメリカのほうが多いかもしれない。医者にかかっているのが千七、八百万人……人口が一億五〇〇〇万人とすると、一割強はお医者の御厄介になっているのです。で、病気の種類は胃癌、小児麻痺、結核……そういうものです。なお、心臓病だとか黄疸だとか喘息だとか、そういうものもなかなかあります。それの原因やなにかを精しく書いてパンフレットか小冊子のようなものを作ってアメリカの主な所に配ろうと思っている。勿論英語で書きます。それから英文『栄光』をあっちで発行しようと思っている。最初はハワイがいろんな便宜がありますし、ハワイは信者がいま四、五十人できてますから……。で、アメリカを急速に救わなければいけないのです。この分でアメリカがずーっと行ったら、もう一〇〇年も経ったらほとんど亡びるような状態になるでしょう。なにしろ非常に薬を使うのです。ところがいま薬の進歩はアメリカが一番と言ってますが、薬の進歩した国はたまらないです。ドンドン弱ってしまうのです。で、それに対して目を覚まさせるように宣伝しようと思っている。なにしろアメリカは世界の文化をリードしているのですから、アメリカ人を救いアメリカ人を解らせるということは、世界人類を解らせる一つの有力な手段になりますから、どうしてもそうしなければならない。
それからいつも言う通り、十字……経<たて>と緯<よこ>を結ぶということは、日本とアメリカを結ぶ……これが最初だと以前から言ってますが、そういった意味にもなります。
それからいま言ったような、五カ年でこれだけ発展したけれども、その間にいろいろな妨害があったのです。二二年の八月に宗教的に発足して、一年あまり経った二三年秋に脱税問題でかなり苦しめられました。その代わりそれまでだれも知らなかった……その時分は「観音教」と言ってましたが、「観音教」も一躍して世の中に知れたのです。しかしそのときは良い知れ方なら良いが、はなはだ悪い知れ方でありました。けれども知れるだけは知れました。どうも、知れるということは悪いことでなければ早く知れないのです。で、神様はそういう手段をとったのだろうと思います。そこでその次が二五年……一昨昨年の五月に、ややこしい事件ですが、世の中に知れるには、もっとも良いです。無論知れるだけは知れましたから、今度は悪い知れ方でなくて良い知れ方をするのです。美術館なんかというのは良い知れ方なのです。そういう邪魔がなかったら、もっと何倍に発展したか分からない。それだけ酷い目に傷めつけられながら発展したということは、つまり神様の威力がすばらしかったということが分かる。善悪の闘いですから、つまり悪魔のほうではどこまでもこっちをやっつけようとするし、また神様のほうでは……やっぱり一時はいままでの善は負けるのですが、今度はそれを凌<しの>いで勝って行く。よく『バイブル』なんかに、勝利ということがあります。勝利の都に降るとか……結局は悪魔に勝つことなのです。それについてちょっと書いてみました。
(御論文「宗教と妨害」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六一一―六一四頁〕
それから、よく社会事業のことについて……そういうことを質問される場合に、よく合った説明ができるように書いてあるのですが、こういう意味で言えば必ず分かるはずです。
(御論文「本教と社会事業」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六〇二―六〇五頁〕
いま読んだ通り、私はいま「`<す>の文化」というのを書いてますが、いまの社会事業のようなものは結局において、いままでのやり方は現われたものを抑えつけるとか、それを一時的良くするとかいう、そういうやり方ばかりですから、やっぱり医学の対症療法と同じで、痛いからそこを注射で痺らして一時苦痛を取る。熱が出るから冷やしたり熱冷ましをやるというようなやり方です。ちょうど社会事業は、不幸な人が出るからそれを救うというのと同じです。ところがそれは因があるのです。その因のほうにさっぱり気がつかないということは、気がつかない一つの癖がついたようなものです。そういった因を考えるということもしないのです。金がなければ借金すれば良い、金を借りれば良い、と……経済界もそうなってます。なにか事業をするとか、なにかというとすぐ銀行から借りるのです。その大きなのが外資導入です。どうしても自分で稼ぎ出すということは、まことに乏しいです。で、犯罪者ができる。そうするとそれに刑罰を喰<くら>わして酷い目に合わして、懲りさせてやろうという、そういうようなことや、とにかく外殻……外側だけのやり方です。ところが中心があるのです。いま言う魂です。それを閑却している。ですから丸のヽ<ポチ>がいままでなかったのです。ポチが隠れていた。ですからこの輪(○)……つまり言わば、からっぽです。ですからいままでは、からっぽ文明です。そこでポチですが、ポチは一厘なのです。これ(丸)が九分九厘なのです。九分九厘と一厘というのはそういうわけです。で、一厘の仕事をするのが私の使命なのです。いまの社会事業にしろそういった肝腎な魂、それから病気なら薬というような、そういったものですが、いま薬については根本から書いてます。そうすると薬も必要だったということも分かります。キリストが言った「禁断の木の実」ということは薬なのです。禁断の木の実を食べると人間に悪が生まれる。悪が発生する。悪の発生源というのは薬なのです。薬を人間が使わなくなれば悪がなくなるのです。これもいま細かく書いてます。いままでそういうような肝腎な中心だけが隠されてあった。それがつまり夜の世界だったのです。暗闇だったからして見えなかったのです。
これはちょっとおもしろいもので、いまのお医者と薬の将来はどうなるかということです。
(御論文「医学関係者に警告する」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六〇六―六〇八頁〕
いま読んだ通り医学の寿命というのは割合早く来るのです。で、こういうことがあります。近ごろ、いままで効いた薬が効かなくなったということをよく聞くのです。ヒドラジドにしろ、あれほど大騒ぎをやったのがもう駄目なのです。この間どこかの病院で統計をとったところが、たいてい二、三週間か一、二カ月で最初は結核菌が非常に減ったのが、今度はまた非常に増えているのです。そうすると菌が前よりか非常に強いのです。なんとかいう言葉ですが、そんなような具合で、それがだいたい三割そういう人ができてます。三割ということは、まだ日限が少ないからです。これが日限が経つと五割にも一〇割にもなるのです。そうするとこれはかえってなんにもならないという時期になるのはもうじきです。ですからいつか書いた「結核新薬を嗤う」というあの通りになって行くのです。近ごろお医者さんで薬に疑いを起したのはずいぶんあるのです。前には効いたが、このごろは効かないというのは、つまり霊界の浄化がだんだん強くなりますから、固め療法でだんだん固まらなくなったのです。つまり人間の毒素だけは、かんてん<ヽヽヽヽ>やところてん<ヽヽヽヽヽ>と違って、いままで通り固まらないのです。そうすると、もう薬を服むことや注射をすることが危なくてできなくなる。この間の新聞にも、注射して何十分かで死んだのです。で、それを告訴するというので、お医者さんの意見が出てましたが、やっぱり特異体質とかいって逃げてましたが、そんなようなことがだんだん増えてくる。そうするとお医者さん自身が医学を疑って、もうこんなことでは駄目だ、怖くて医療はできないということになりますから、そうすると別に外郭から医学をどうするのでなくて、御自分のほうで医学を捨ててしまうということになります。それもたいして長いことはないのです。だからいま書いたのはその警告ですが、そういうわけですから、そうなってからメシヤ教はたいへんなことになります。さっき論文にもあった通り、世界中の引っ張りだこになるということがありましたが、そういうふうになるわけです。ですからそのときになると忙しくてたいへんですから、いまのうちにできるだけ御神書を読んで、その用意をしておくということが肝腎です。
いま『文明の創造』を書き始めたのですが、今度のはなかなかおもしろい書き方になってます。「序文」だけを、短いからちょっと読ませます。
(御論文「文明の創造 序文」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五九二―五九四頁〕