昭和二十七年十二月一日 垂録16 (6)

〔 質問者 〕それから『栄光』紙に出ておりますことで、明主様の御論文は絶対のものでございますが、しかしお蔭話というのは信者さんの感謝文なのだから、これを絶対と思ってはいけないと思います。といいますのは、ある所で質問がありまして、「霊視日記」の中で御光がおいでになる、それが見えた、それは秒速一五メートル、と書いてありますので、どういうものかという質問がございました。

【 明主様 】その人にはそう見えるのです。

 

〔 質問者 〕それはその人が見たことであって、実はそうでなく、御光は瞬間的で時間空間はない。「明主様」と申し上げると、そのときに御守護があるのです。霊視は参考に考えるなら良いが、それでなければぜんぜん嘘だから、と話したのでございます。

【 明主様 】そうです。あれは本人の書いたままを出したので、はなはだしく間違っているのは直しますが、なるべく訂正しないようにしているのです。訂正するということになるとおもしろくないのです。個人のお蔭話を訂正して、おおげさにしていると疑われるから、そういうことはしません。

 

〔 質問者 〕お蔭話をよく見ておりますと、半分は最初にお詫びしなければならないようなことがございます。

【 明主様 】この間こういうことがあった。いろいろ一生懸命にやったが、どうしても良くならない。それから光明如来様にお願いしたら、それからすぐに良くなった、というのですが、そういうときには自分が治そう治そうとしているのです。それで神様を忘れているのです。それが修行です。世間は間違ったことが多く、それで長い間教育されているから、こっちの説があまりに世間と違うから、分かるまでは、そうとう暇がかかります。