昭和二十七年十二月一日 垂録16 (1)

〔 質問者 〕熱海会館の御奉仕の方法と申しますと変ですが、会長の言葉を聞きまして、K会でのそのあり方が本当になってきたと思われますのは、今度一〇〇〇万円なら一〇〇〇万円を御奉仕させていただくということでなく、ぜひお許しいただきたいとお願いいたしますと、それから非常にスウスウとまいります。

【 明主様 】そうです。それはちょっとしたことですが、いままでとは反対なのです。

 

〔 質問者 〕それで生活の面でも、いまではたいへんお蔭をいただきましたが、自分で垣を作ってその中に入って窮屈になって、四角三角になって苦しんでいるのは、ただ自分で苦しんでいたことでありまして、本当に楽になるものをと思いまして、たいへんありがたいことでございます。

【 明主様 】そうです。この間のお蔭話に、自分がどこか悪くて「親父が今朝はたいへん朗らかだから、こういうときにやってもらったら効果があるだろう」と書いてあったので、それはつき返してやったのです。親父が朗らかだからというと、親父にやってもらっているように思っているのです。神様というのをぜんぜん忘れているのです。だから見当が違っているから、つき返してやったのです。こういうこともたいへんな間違いです。いっさいは神様を中心にすると、なんでもないのです。どうも人間的な考えになるのです。

「『御垂示録』十六号,講話篇第六巻p306~307」 昭和27年12月01日