昭和二十七年十一月一日 垂録15 (4)

【 明主様 】だから天理教でもずいぶん信用を落とすようなことをしました。「天理王尊」と、こんなことをやってますが、あれを知識階級が見たら入る気がしません。私が見てもそうです。ですから私は宗教は大嫌いだと言うのです。自分だって宗教家ではないかと言うでしょうが、ですから私は宗教ではないと言うのです。そうかといって、無神論はなお悪いです。だから宗教の悪いのは始末の良い悪さです。一番困るのは善意の悪魔です。あるいは親切な悪です。私はいま医学のことに対して、善意の罪悪ということを書いてますが、行なったことは、たしかに善意なのです。「医は仁術なり」といって馬鹿に良いですが、結果において罪悪になっている。そういったことが、いままでは非常に多かったのです。だから医学というものは、善意の罪悪です。今度『アメリカを救う』という本が外国に行くということは、やっぱり「最後の審判」です。神様は医学の審判を始めたのです。それで医学のいままでの罪悪を、すっかりさらけ出すことで、みんなを分からせるということは、神様は最後の審判で医学に最初手をつけたわけです。最後の審判と言うと、天から火の玉が降るように思いたいのです。『聖書』にそういうふうにあるのです。しかしそういった現実離れしたようなことがあり得ることはない。そういうのはみんな寓意です。「あなたは病気は医者にかかりなさい。そんな宗教なんかでは危ないから、なんでも医者に行きなさい」と言うのは、つまり親切な悪魔というやつです。

「『御垂示録』十五号,講話篇第六巻p290」 昭和27年11月01日