昭和二十七年十一月一日 垂録15 (18)

〔 質問者 〕ただいまの上座下座のことでございますが、常に御神前に向かいまして、神様の左側が上座と思っておりましたのでございますか。

【 明主様 】神様のほうはそうです。しかし神様と人間は違います。向かうと神様と人間はあべこべになるわけです。あなたが妻君と二人で御神前に向かう場合にはどう並びますか。

 

〔 質問者 〕右側が上座だと伺っておりました。

【 明主様 】そんなことはありません。なんでも左が上座です。それでなければ霊主体従になりません。霊主体従は知っているでしょう。「ヒ」というのは霊です。「ヒ」は霊で「タリ」は満ちです。「ミギ」というのは、「ミ」は体です。「ヒ」と「ミ」です。

 

〔 質問者 〕一般は御神前に。

【 明主様 】ですから御神前は人間とあべこべだと言うのです。簡単です。ややこしく考えるといけないのです。真理は簡単なものです。神様が御神前に御夫婦でお並びになると、向かって右が男神様、左が女神様です。人間のほうはあべこべになるのです。一緒にするからいけないのです。分離すれば良いのです。

 なんでも考えるには一番簡単な考え方です。それが真理です。ちょっとでもややこしいものなら、それは真理ではないのです。だから真理というのは一番やさしいのです。それをゴチャゴチャにするのが邪神です。それで一番ややこしいのは共産主義です。

 

〔 質問者 〕祭官が坐りますときは、上席はこちらに坐りますが。

【 明主様 】祭官とふつうの人とは違います。

 つまり霊と体の考え方が、はっきり分かればわけはないのです。どうも人間の習慣で簡単に考えないのです。ややこしく考えるくせがある。特に日本人は昔からそういう弊害が多いのです。自由意志だとか自由主義だとかを抑えられてきたので、考え方が単純でなく、どうも複雑です。いまの世の中は、みんな体主霊従の世の中だから、体主霊従になっているのです。天皇陛下の御親影でも、皇后様のほうが上です。それから恵比須さんを置くのも体主霊従に置いている。大黒さんが霊で恵比須さんが体です。

「『御垂示録』十五号,講話篇第六巻p300~302」 昭和27年11月01日