昭和二十七年八月一五日 『御教え集』十二号 (6)

七月二五日

御教え 私は始終邪神と闘っているのです。だから一日といえどもなんにもなくて、せいせいするという日はありません。それからそれへと問題が起ってくるのです。ですから始終闘いです。冷たい戦争と言いますが、まあ冷たい戦争です。武器を持たない戦争です。それを始終やっている。ですからいまでも裁判の三つや四つしているのですが、みんな悪との闘いです。邪神のほうでは、とにかく私が怖いので、あらん限りのことをやっているのです。ですから昔なら、キリストみたいに磔にならないまでも、遠島くらいはされたわけです。その点はいまはありがたい御時世になってます。とにかく昔のようなひどいことはしないですから、よほど楽に闘っていられるのです。宗教というものは、そういうふうな運命がつきまとっているものです。かえって力のある宗教ほど、よけいそういうことをされることがあるのです。お釈迦さんだけは割合に無事だったのですが、あの人は皇太子という位があったので、社会が非常に見方を違えたのだろうと思います。お釈迦さん以外としては、ほとんど迫害されない宗教家はいなかったです。だからしていままで悪い意味ばかりで考えてましたが、なにか……つまり抑えつけるとだんだん力を増すのです。無事でなんにもないと、さっばり力は増さないのです。やっぱり神様は良い具合に……考えてみるとちょうど一年置きになってます。今年なんかはごくわずかですが、でも一つの句切りになったような、多少の影響があるでしょう。あとは一昨年……二五年。それから一年間をおいて二三年です。そんなような具合に一年置きです。ですからギュウギュウ押す……押すとこっちははね返る。力が増すのです。そういうふうにギュウギュウやられていながら、教団のほうはドンドン発展して行く。今度は美術館もできたのですから、その神様のやり方は、なかなかおもしろいと思うのです。

『文明の創造』も書きかけてますが、それについて悪というものは必要だったということを書いたのです。

(御論文「天国建設と悪の追放」朗読)〔「著述篇」第一○巻五八四―五八九頁〕

 それから昨年の事件について、一つ言いたいことは、どうして起ったかということは、これは教団を乗っ取ろうとする陰謀の一団があった。陰謀の一団というとおおげさだが、陰謀者があった。これがなかなか智恵があって、おまけに私は疥癬で、なんにもできなかった。それで任せきりであったために、その際に乗じて教団乗っ取り策を講じて、それには私と渋井さんをまず追い出すということが一番の狙いであった。それで、当局を巧妙な手段で動かしたということは、悪智恵という……凄いものがある。とうとう当局を動かして、その当時は、メシヤ教になった当時で、メシヤ教というのはたいへんに怪しからんものだ。これを調べたら、なにかあるに違いない。それにとうとう乗ってしまって、それでこいつをおおげさにやってみようと、ああいったおおげさにやったのです。

「『御教え集』十二号 昭和二十七年八月一五日 」 昭和27年08月15日