昭和二十七年八月一五日 『御教え集』十二号 (5)

七月一六日

御教え いままで結核問題のほうが、美術館やなにかで、『文明の創造』も書きかけになっていたが、やっと暇ができたので……暇ができたというより、気持ちがゆったりしたのでまた書き始めたのです。それについて書き方をいくらか変えてやろうと思って、「序文」の最初の……まず基礎的というような、そういったものを二、三書いてみたので、ちょっと読ませます。

(御論文「文明の創造  序文」「天国建設と悪の追放」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五九二―五九四頁、五八四―五八九頁〕

 まだ仕上げができていないから、いくらか分かり悪いでしょうが、だいたいの意味は分かったと思います。これはだれでもですが、悪というのはなぜあるのかという疑問ですが、こういう質問をされたことがある。神は愛だ、慈悲だ、と。それなら、罪を裁く……罪を裁くといえば、人間が苦しむのですから、神様の慈悲だとしたら、最初から悪を作らないで、罰を与えたり苦しめたりしなければ良いではないか。それでは、神の慈悲ということが、どういうものか解らない。ということをときどき質問した人がありますが、それはまったくそうです。で、私は言ってやったのです。私は悪を作った神様でないから、どういうわけで作ったか分からない。その神様に聞いてみるよりしかたがない、と言って逃げたのです。そういうわけで悪はどういうわけであるかということが分からないのです。それを分からせるために最初は必要であった。要するに必要悪です。いままでは悪があったために物質文化が発達したのです。もし悪がなかったら、人間はまだまだ……智恵もこれほどにならず、もっとボーッとしたものであったでしょう。仮に、戦争が恐ろしいから、負けたらたいへんだといろいろ工夫してやる。そうするといっぽうのほうで、悪人は大いに世界を自由にしようとします。最近で言えば、ヒトラーのように……いろいろ工夫している。それから泥棒があるから、泥棒をつかまえようというわけで、警察と智恵較べをするのです。現に、いまの破壊活動防止法案は共産党のほうをなんとかしてやっつけよう。武器をどうして作ろうか、手に入れようかとする。この間ピストルを何百か押さえられましたが……。それから火炎瓶、竹ヤリ……これは原始的ですが、いろいろ工夫している。そうすると政府のほうでは、破防法を作ったりいろいろな巣窟を探ったりしてやっている。これは智恵較べです。悪人と善人の智恵較べがあらゆる面に出てくるのです。つまりそれによって人間はだんだん智恵が進むのです。それからいま読んだ通り、いろんな物質文化を発達させるには、神様があるということを……つまり有神論では、神様がなんとかしてくれるという気になるから、どうも発達しないです。神様はないから、どうしても人間の力で工夫して行かなければならないということになるから、必要悪だったのです。ところがここまで来れば、必要悪でなくて不必要悪で、かえって障害物になる。そこで悪を打ち切りにして、これだけ進んだ物質文化を利用して地上天国を造る。その時期が来たのです。時期が来た以上その根本が分かつていなければならない。神様はそれを知らされたのです。そこでこういう文章を書いて世界中の人に知らせる。つまりこれは「天国の福音」というわけです。キリストが言ったように、「普く天国の福音は伝えられるべし、然る後末期至る」です。これから、先を説いていきますが、悪というものは打ち切りにする。どうしてなくする……その打ち切りの順序をこれから書くのです。そうして悪というものはなくなる。なくなるということは、刑罰でなくなすのでなく、悪はつまらないということになる。悪なんかやってもしようがない。善のほうが得だということになるのです。そういうことになるということは立派な理由があるのです。それはこれからだんだん説いていきますから分かるわけです。そういう話はこのくらいにしておいて……。結局、世界人類にその根本を分からせるということが、これからの私の仕事です。

 それから、これは美術についてですが、いずれ美術館に来た人に絵葉書なんか……いまこしらえてますが、これは売りますから、それにつけてやるが、一般の人にやれば解りますから……?まり簡単な美術について、専門的でなく普通人として知っておかなければならないという範囲で書くつもりですが、その最初の所をちょっと読ませます。

(御論文「東洋美術雑観(1)」朗読)〔「著述篇」第一〇巻二七―三〇頁〕

 これは、あんまり宗教と関係ないことですが、こういうことも少しは良いだろうと思って。

 (御論文「私と映画」朗読)〔「著述篇」第一〇巻一〇四―一〇八頁〕

 映画の歴史みたいになったが、映画の最初のことも知っておいても無駄ではないと思って……。とにかくその当時といまとの進歩の大きいこと……しかしその時分も、とにかく無声映画時代の弁士の上手い、下手いが非常に興味があった。いまの徳川夢声君は弁士のほうはあんまり上手くない……それほどではない。弁士として一番の親玉はやっばり染井三郎、生駒雷遊、滝田天嶺……そういう人たちで、むしろ夢声さんは弁士を止めていまのようになってから非常に名をあげて、一種の芸風ができたのです。だから夢声さんにとっては、映画説明がなくなったということが、かえって出世の動機になったのです。

「『御教え集』十二号 昭和二十七年八月一五日 」 昭和27年08月15日